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びょうしょうろくしゃく

病牀六尺

正岡子規

読了時間
約2時間55分
文字数
87,381字
読みやすさ
歯ごたえあり
表記
新字旧仮名
読む速さ

初出: 「日本」1902(明治35)年5月5日~9月17日(「病牀六尺未定稿」の初出は「子規全集 第十四巻」アルス1926(大正15)年8月)

三行でいうと

  1. 六尺の寝床から動けなくなった正岡子規が、新聞に毎日短い文章を寄せていく随筆である。
  2. 画譜の評や俳句の批評、郷里の思い出、見たいものの一覧と、話題は日ごとに移っていく。
  3. 夏が近づくと苦痛は増していく。絶叫と号泣の記録の隣に、草花を写生する楽しみが並ぶ。

登場人物

余
書き手。六、七年も病床に寝たきりで、麻痺剤を飲みながら毎日の文章をつづる。
碧梧桐
俳句仲間。看護に通い、寝床の上に風を送る風板を作って吊るす。
虚子
俳句仲間。余と画帖を見たり、句を評し合ったりする。
左千夫
当番の日に見舞いに来る歌人。肥えた体で、人麻呂も肥えた人だったと言い張る。
古洲
昔、余を連れて目黒から品川まで歩いた友人。のちに写真双眼鏡を贈る。
老母
振り仮名をたよりにつまずきながら、余に新聞を読んで聞かせる。
孫生
快生とともに訪ねてきて、渡辺のお嬢さんを余に引き合わせる。

読みどころ

冒頭の一文は「病床六尺、これが我世界である。」だ。寝返りも打てない病人が、その狭い床から世の中を見て書いていく。苦しみを訴える日があり、絵や俳句を論じる日があり、食べ物の話だけで終わる日もある。死を前にした人が、なお面白いものを探しつづける姿がこの本の中心にある。

注目したいのは、話題の振れ幅の大きさである。画譜を一枚ずつ細かく評した翌日に、見たいものとしてビヤホールや活動写真を挙げる。悟りについて書いた一節は、平気で死ぬことではなく「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。」と結ばれる。苦痛の記録のすぐ隣に、渡辺のお嬢さんをめぐる冗談のような話も置かれている。

正岡子規は俳句と短歌の革新を進め、写生を唱えた人である。この随筆は新聞『日本』に明治三十五年の五月から連載された。文中でも写生の大切さを何度も説き、病床で草花を描いた体験を書いている。写生の考えが、書き手自身の暮らしの中でどう生きていたかが分かる一冊である。

結末まで知りたい人へ

結末を表示する(ネタバレを含みます)

五月から六月にかけて、文鳳や広重の画譜の評が続く。目黒の料理屋の娘から小提灯を渡された昔の夜を思い出し、見たいものを並べた一覧も書く。六月半ばになると、余は苦しさに絶叫し号泣する毎日を書きつける。本郷の見知らぬ人から手紙が届き、それに応える形であきらめについて考える。七月には、看護する家族の女たちに常識が足りないと嘆き、女子の教育と家庭の団欒を説く。

八月には、モルヒネを飲んでから草花や果物を写生するのが何よりの楽しみになる。連載は百回に届いた。新聞社が三百枚刷ってくれた状袋のうち、百枚を使い切ったことを余は喜ぶ。そのころ孫生と快生が渡辺のお嬢さんを連れてくる。余はひと目で心を奪われ、手紙を送りながら一日煩悶したのち、望みがかなう。お嬢さんの正体は、南岳が草花を描いた画巻だった。

九月に入ると、暑さで新聞も読めなくなり、足は腫れ上がる。昼も夜も全身を拷問のような苦痛が襲い、一回ごとの文章は短くなっていく。連載は、芳菲山人から届いた見舞いの手紙と狂歌で終わる。

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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日