ぼくじゅういってき
墨汁一滴
- 読了時間
- 約2時間32分
- 文字数
- 75,544字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字旧仮名
三行でいうと
- 病で筆を持つのも苦しくなった正岡子規が、十行でも一行でもよいから毎日書こうと思い立つ。
- 枕元の贈り物、郷里の節分、漢字の誤り、平賀元義の万葉調の歌と、話題は日ごとに移っていく。
- 痛みと熱は増し、寝返りにも人手が要るようになるが、筆は友や歌や画の話へ向かい続ける。
登場人物
- 鼠骨
- 年玉に三寸の地球儀や大黒のはがきさしを贈り、のちに御籤も届ける。
- 左千夫
- 茶会に古釜を持ってきて茶を立て、別の日には鯉三尾を盥に入れて病牀の傍に置く。
- 黄塔
- 子規の二十年来の友で、大きな国語の字書を作ろうと志していたが、二月一日に亡くなる。
- 平賀元義
- 備前の歌人で、世に知られないまま万葉調の歌を作り続けた人として、子規が何日もかけて紹介する。
- 碧梧桐
- 河東静渓の第五子で黄塔の弟にあたり、月並調とは何かを子規と問答する。
- 漱石
- ロンドンの下宿で暮らしており、学生時代には米が苗の実だと知らなかったと書かれる。
- 不折
- 子規に画の見方を教えた画家で、西洋へ出発する前に子規が五日続けて文章を贈る。
読みどころ
寝たきりの書き手が、その日に胸に浮かんだことを何でも書いた。それが、この随筆の作りである。痛みの記録と冗談が同じ調子で並ぶところが、いちばんの読みどころだ。大黒様の状さしを壁に掛けると「病室が俄かに笑ひ出した」と書く。たった一行の日もあり、「三日後の天気予報を出してもらひたい」とだけ記されている。
一回ごとに日付のついた短い文なので、どこから読んでも構わない。隣の女の子が描いた絵に子規が朱を入れる場面や、漱石と田んぼを歩いた思い出は、文語に慣れていなくても楽しめる。平賀元義の紹介や落合氏の歌への批評からは、子規が歌に何を求めていたかがよく分かる。文語と口語が入りまじっており、子規自身も「文体一致せず」と書き添えている。
正岡子規は俳句と短歌の革新を進めた人である。『墨汁一滴』は明治三十四年(1901年)に新聞『日本』に連載された。病床の日々を書いたものには、ほかに『病牀六尺』と『仰臥漫録』がある。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
一月から三月にかけて、正岡子規は年玉の地球儀や根岸の地図、蕪村の忌日などを書きとめる。病床での希望が小さくなっていく様子をたどり、次は「希望の零となる時期」だと書く。二月には旧友の黄塔の死を記し、続いて平賀元義の歌を十日あまり紹介する。三月末からは『明星』に載った落合氏の歌を一首ずつ批評する。
四月二十日には読者からの見舞いの手紙にまとめて返事を書く。病気はすでに末期で、残る療養法は「うまい物を喰ふ」ことだけだと答える。五月には奥歯が傷んで物が噛めなくなり、「人間は何が故に生きて居らざるべからざるか」と問う。枕元に毒薬を置いてみよと書いた翌日、一日の出来事を細かい日記にして載せる。閻魔の前で迎えの時期を交渉する戯文も書く。
六月には学生時代の試験と落第の思い出を書き、西洋へ発つ不折のために五日続けて文章を載せる。その最後は「余り齷齪と勉強して上手になり過ぎ給ふな。」で結ばれる。六月三十日には不折を正客として人々が枕辺に集まる。七月一日には、蚊に刺されても手で打てない病人の苦しさを書く。原文は七月二日、鮓の季語についての話で終わる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日