ふりょうしょうねんとキリスト
不良少年とキリスト
- 読了時間
- 約28分
- 文字数
- 13,898字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「新潮 第四五巻第七号」1948(昭和23)年7月1日
三行でいうと
- 歯痛で十日寝こんだ私は、頬に氷をのせて太宰の本を読みかえし、看病する女房に当たり散らす。
- 檀一雄が来て太宰の死を語る。私は記者に狂言自殺を疑われ、太宰をかくまっていると思われた騒ぎを語る。
- 私は太宰をM・Cになりきれなかった男とみる。虚弱と酒とフツカヨイを手がかりに、その死を考えていく。
登場人物
- 私
- 歯痛で十日寝こみ、そのあいだに太宰の本をあらかた読みかえした文士である。
- 女房
- 十日間、五分おきに氷のタオルをのせかえて看病し、治ったと聞くと怒りだす。
- 檀一雄
- かつて太宰と共産党の活動をした仲で、太宰の死にまつわる十三の数の符合を並べてみせる。
- 太宰
- 川に身を投げて死んだ作家で、私は彼を四十になっても不良少年だった男と呼ぶ。
- 升金編輯局長
- 銀座出版の編輯局長で、歯痛にただ一人同情を寄せた。
- 田中英光
- 太宰の弟子で、ファン・レターには返事を書けという教えに従っている。
- サッちゃん
- 太宰とともに死んだ女で、酔った跡のない整った遺書を残した。
読みどころ
太宰の自殺を受けて、坂口安吾が書いた追悼の文章である。ただし悼むだけでは終わらない。死んだ友を不良少年と呼び、晩年の作をフツカヨイ的だと切り捨てる。それでいて、太宰は健全で整った、まっとうな人間だったと何度も書く。人はなぜ死を選ぶのか、生きるとはどういうことかを、悪口と愛情の入りまじった調子で問いつめていく。
書き出しは自分の歯痛の話で、看病する女房とのやりとりが可笑しい。そこから太宰の死の知らせ、記者騒ぎ、作品の批評へと話が移っていく。注目したいのは、安吾が太宰を語るのに使う「M・C」と「フツカヨイ」という二つの言葉だ。舞台の上の芸人になりきれた作品と、なりきれなかった作品を、この二つで分けていく。カタカナまじりの口語は乱暴に見えるが、議論の筋は通っている。後半の章で、話は太宰から生と死そのものへ移る。ここで調子が変わるところも読みどころだ。
坂口安吾は『堕落論』『白痴』で戦後の文壇に出た作家で、太宰治や織田作之助とともに無頼派と呼ばれた。この文章は太宰が死んだ年に『新潮』に載った。太宰の死を美化する声が多かった中で、生きることを正面から説いた一編である。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
私は太宰の晩年の作を、フツカヨイ的でありすぎたと批判する。太宰はときに見事なM・Cとして書いたが、それが続かなかった。私はその原因を、体の虚弱と酒に見る。酒は自分を忘れさせる魔術だが、フツカヨイという附属品がある。もう仕事ができないという思いはフツカヨイの幻想にすぎない、と私は言う。情死も大ウソだと退け、「惚れたら、生きることです」と書く。太宰の遺書は泥酔の騒々しさばかりだという。それでも子供が凡人でもカンベンしてくれという一文は切ないとし、太宰を、あたりまえの人間だったと認める。
最後の章で、私は太宰を、親兄弟と家庭に痛めつけられた不良少年だと言う。不良少年は負けたくないので、死んでも偉く見せたがる。芥川も太宰も弱虫の不良少年で、権威を借りるためにキリストをひきあいに出した。ドストエフスキーはキリストを自分でこしらえた、と私は書く。
私は、生きることだけが大事で、死ねば無に帰するだけだと言い切る。生きていれば疲れるし、無に帰そうと思うこともある。それでも生きる時間を生きぬき、戦うと決める。「人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。」と続ける。原子バクダンも自殺も子供の遊びで、学問ではないとする。最後は「学問は、限度の発見だ。私は、そのために戦う。」で終わる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日