だらくろん
堕落論
- 読了時間
- 約16分
- 文字数
- 7,576字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「新潮 第四十三巻第四号」1946(昭和21)年4月1日
三行でいうと
- 敗戦から半年がたった。特攻の若者は闇屋になり、未亡人は新たな面影を胸に宿す。私は人間が変ったのではないと見る。
- 私は歴史をさかのぼり、武士道も天皇制も人間の弱さを見抜いて作られた禁止の仕組みだと論じていく。
- 空襲下の東京にとどまった私は、偉大な破壊と、運命に従順な人々の美しさに見とれた日々を振り返る。
登場人物
- 私
- 語り手。疎開をすすめる親切をしりぞけ、空襲のさなかの東京にふみとどまった。
- 姪
- 私と極めて親しかった姪で、二十一の年に自殺した。
- 大井広介
- 私が焼跡の防空壕を最後の拠点にするつもりでいた相手で、九州へ疎開した。
- 宮本武蔵
- 果し場へ急ぐ途中で八幡様を拝みかけ、思いとどまった剣客として引かれる。
- 松永弾正
- 信長に追いつめられた陰謀家。延命の灸をすえてから、鉄砲で顔を打ち砕いて死んだ。
読みどころ
人はなぜ堕ちるのか。堕ちることは悪いことなのか。坂口安吾は敗戦直後の世相を見て、この二つの問いに正面から答えようとする。義士も聖女も堕落する。それを止めようとする規約は、人間の弱さをよく知る者が作ったものだと安吾は見る。安吾は道徳を説かず、人間をありのままに見ようとする。
話題は大きく揺れる。四十七士の処刑から武士道と天皇制へ進み、空襲下の銀座や道玄坂の光景へ移っていく。理屈の合間には、二十一で自殺した姪のことや、爆撃で声が出なくなった自分の臆病さが挟まる。「私は二十の美女を好む。」のように、本音がぽんと投げ出される箇所も多い。論の筋と一緒に、こうした告白の調子も追いながら読みたい。
坂口安吾は戦後の文学を代表する作家の一人で、この評論は1946年に雑誌『新潮』に発表された。「生きよ堕ちよ」の一句はよく知られ、焼け跡の時代を生きた多くの読者に読まれてきた。漢語の多い硬い文章だが、短く言い切る文が多いので勢いがある。安吾の小説を読む前の入口としても役に立つ。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
私は戦争中の東京を、泥棒すらいない理想郷だったと振り返る。ただしそれは考えることのない虚しい美しさで、人間の真実の美しさではないと言う。私は自分を一人の馬鹿と呼び、無邪気に戦争と遊び戯れていたと認める。終戦であらゆる自由を許されても、人間は永遠に自由ではありえないとも述べる。
特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人は新たな面影に胸をふくらませている。私はそれを、人間が人間へ戻ってきただけだと見る。「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。」と書き、堕落は防げないし、防いでも人は救えないと説く。
ただし人間は弱く、堕ちぬくことはできない。結局はまた武士道をあみだし、天皇を担ぎだすだろうと私は言う。だから自分自身の武士道や天皇をあみだすために、正しく堕ちる道を堕ちきる必要がある。日本も同じで、堕ちきって自分自身を発見し救わなければならない。私は政治による救いを上皮だけの物だと退けて、文章を終える。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日