おきつやごえもんのいしょ
興津弥五右衛門の遺書
- 読了時間
- 約15分
- 文字数
- 7,011字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「中央公論」1912(大正元)年10月
三行でいうと
- 細川家に仕える興津弥五右衛門は、主君の墓前で切腹する前日、子孫のために京都の弟の家で遺書を書く。
- 若いころの弥五右衛門は、主君の命令で長崎へ珍しい品を買いに出る。伽羅の本木を伊達家の役人と競り合う。
- 同行した横田清兵衛は、香木に大金を出すなと反対する。弥五右衛門は主命の重さを説いて一歩も譲らない。
登場人物
- 興津弥五右衛門景吉
- 遺書の書き手で、三斎公に仕えた細川家の侍である。
- 横田清兵衛
- 弥五右衛門とともに長崎へ出向いた相役で、香木に大金を出すことに反対する。
- 三斎公
- 細川家の隠居で、弥五右衛門に珍しい品を買い求めるよう命じた主君である。
- 弥五右衛門景一
- 弥五右衛門の父で、赤松家に仕えた後に細川家に召し抱えられた。
- 又次郎
- 京都に住む弥五右衛門の弟で、遺書はその家で書かれた。
- 乃美市郎兵衛
- 弥五右衛門が介錯を頼んでおいた侍である。
読みどころ
主君の命令はどこまで重いのか。この作品はそれを、一人の侍の遺書の形で問いかける。茶の湯に使う香木一つのために、弥五右衛門は同僚と斬り合う。何十年も後には、命の恩人である主君の後を追って腹を切る。今の目で見ると理解しにくい行いが、本人の言葉で淡々と語られていく。
前半は候文で書かれており、一文が長く読みにくい。それでも長崎での言い争いは、二人の言い分がぶつかって緊張感がある。横田は香木を無用の慰み物と見る。弥五右衛門は、主命なら中身を問わず果たすものだと考える。どちらの理屈にも筋が通っている点に注目したい。最後の短い地の文は、遺書とは違う冷静な筆で書かれている。
森鷗外は乃木希典の殉死を受けてこの作品を書き、1912年に『中央公論』に発表した。鷗外の最初の歴史小説とされ、のちの『阿部一族』や『高瀬舟』へ続く歴史ものの出発点になった。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
横田は脇差を抜いて投げつけ、弥五右衛門は身をかわして刀を取り、ただ一打で横田を討ち果たした。伽羅の本木を持ち帰った弥五右衛門は、侍を一人討った罪で切腹を願い出る。三斎公は申し分をもっともだと認め、伽羅に初音と銘をつけて弥五右衛門をほめた。横田の嫡子とは御前で互いに恨みを持たないと誓わせたが、横田家の者たちはやがて筑前へ去った。弥五右衛門は主君の名の一字を賜り、沖津を興津に改めた。香木は後に帝の目にも留まり、白菊と名づけられた。
その後、弥五右衛門は島原の乱で股に銃弾を受け、江戸詰めとなる。妙解院殿が亡くなり、続いて三斎公も世を去った。命を救ってくれた主君の後を追うと決めたものの、江戸の留守居の務めが片づかず、時が過ぎた。今年ようやく務めを終えて殉死の願いが聞き届けられ、船岡山の下に仮屋が用意された。遺書は倅の才右衛門に宛てて、御当家への忠誠を子孫に託して結ばれる。
遺書の後は地の文に変わる。正保四年十二月二日、弥五右衛門は仮屋で「頼む」と声を掛け、腹を切った。乃美の一刀は少し切り足りなかった。弥五右衛門は「喉笛を刺されい」と云ったが、乃美が二度目の手を下す前に息絶えた。周りには京都の見物人が大勢集まった。物語は興津家の子孫と兄弟の家の行く末を記して終わる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日