このページには広告(Amazonの商品リンク)が含まれます。

あべいちぞく

阿部一族

森鷗外

読了時間
約55分
文字数
27,429字
読みやすさ
歯ごたえあり
表記
新字新仮名
読む速さ

初出: 「中央公論」1913(大正2)年1月

三行でいうと

  1. 寛永十八年の春、肥後の大名細川忠利が病で亡くなる。許しを得た家臣十八人が、次々に殉死していく。
  2. 側近の阿部弥一右衛門は、何度願っても殉死を許されなかった。生き残ったことを、家中で陰口される。
  3. 弥一右衛門は息子たちの前で腹を切る。しかし遺された一族は知行を割かれ、家中で軽んじられていく。

登場人物

細川忠利
肥後五十四万石の大名で、寛永十八年三月十七日に五十六歳で亡くなる。
内藤長十郎
忠利の机廻りの用を勤めた十七歳の侍で、忠利の足を額に戴いて殉死の許しを願う。
津崎五助
忠利の犬牽きで、身分は軽いが殉死の許しを受ける。
阿部弥一右衛門
千百石余の側近で、精勤するのに忠利からなぜか好かれず、殉死を許されない。
権兵衛
弥一右衛門の嫡子で、島原征伐の働きで新知二百石をもらった。
弥五兵衛
弥一右衛門の二男で、鎗が得意。
市太夫
弥一右衛門の三男で、早くから若殿附きになっていた。
七之丞
弥一右衛門の五男で、まだ前髪のある少年。
光尚
忠利の嫡子で、跡を継いだ若い当主。
林外記
光尚のお気に入りの大目附役で、阿部家の知行を分ける策を出す。
柄本又七郎
阿部の屋敷の隣に住み、一家と親しく行き来していた侍で、弥五兵衛とは鎗の腕を張り合う仲。
竹内数馬
忠利に取り立てられた二十一歳の側者頭で、十六歳のとき島原の城に攻め入った。
高見権右衛門
知行五百石の側者頭で、十文字の槍を使う。

読みどころ

殉死は、主君の許しがあってはじめて名誉になる。許しのない死は犬死として扱われる。その掟のなかで、ただ一人許されなかった侍と家族がどう見られ、どう扱われていくかを描く作品だ。命より重く量られる面目と、周りの目の重さが中心にある。

語り手は家系や禄高、切腹の日付や介錯人の名を淡々と並べていく。その合間に、長十郎が腹を切る前に昼寝をする場面や、五助が犬に語りかける場面が置かれる。長十郎の心のなかでは、自分から死を望む気持ちと、人の目に押されて死へ進む気持ちが、ほとんど同じ強さで並んでいる。忠利がなぜ弥一右衛門を好かないのか、忠利自身にもはっきりした理由がない。こうした書き方にも目を留めたい。

森鷗外が江戸時代初めの武家を題材にして書いた歴史小説の一つで、大正二年に発表された。感情を説明する言葉を抑えた文体が、出来事の重さをかえって際立たせている。

結末まで知りたい人へ

結末を表示する(ネタバレを含みます)

忠利の一周忌の法会で、権兵衛は焼香のあと髻を切り、位牌の前に供える。光尚は権兵衛をおし籠め、一族は京都から来ていた天祐和尚に助命を頼む。光尚は和尚が熊本を立つのを待ち、権兵衛を井出の口で縛首にする。一族は討手を引き受けて共に死ぬことに決め、山崎の屋敷に立て籠る。討手の来る前の日に、老人と女は自殺する。幼い者は刺し殺して、庭に埋める。

四月二十一日に討手が入る。隣の柄本又七郎は竹垣を破って駈け込み、弥五兵衛の胸を槍で突き抜く。弥五兵衛は腹を切りに座敷へ引き、七之丞が又七郎の太股を突く。表門の竹内数馬は、自分を討手に推したのが林外記だと聞き、討死を決めていた。数馬は真っ先に玄関に進み、市太夫と五太夫の槍に突かれる。弥五兵衛は切腹し、市太夫、五太夫、七之丞も深手で息が切れる。高見権右衛門は物置小屋に火をかけ、火を消してから引き上げる。

光尚は数馬の討死を知らされ、権右衛門から報告を受ける。権右衛門は第一の功を又七郎に譲る。権右衛門らは加増を受け、屋敷の外をうろついていた畑十太夫は追放される。一族の死骸を白川で洗うと、弥五兵衛の創が誰の創よりも立派だった。又七郎はいよいよ面目を施した。

読んでみる

青空文庫で無料で読む図書カード:阿部一族

本で読む

注や解説の付いた文庫は、言葉の意味や時代背景を確かめながら読めます。

次に読むなら

公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日