げさくざんまい
戯作三昧
- 読了時間
- 約42分
- 文字数
- 20,604字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「大阪毎日新聞」1917(大正6)年11月
三行でいうと
- 天保二年の秋、六十を越えた曲亭馬琴は朝湯で愛読者に八犬伝を褒められ、湯船では自作の悪口を聞かされる。
- 家に帰ると本屋の和泉屋市兵衛が原稿の催促に来ていた。追い返した馬琴は、世間の下等さに心を沈ませる。
- 親友の崋山と芸の道を語り合ったあと、馬琴は八犬伝の原稿を読み返す。そして文章の出来の悪さに打ちのめされる。
登場人物
- 馬琴
- 『八犬伝』を書き継いでいる六十あまりの戯作者で、目が悪く自尊心が強い。
- 近江屋平吉
- 小間物屋を営む読本好きで、銭湯で馬琴の『八犬伝』を褒めちぎる。
- 和泉屋市兵衛
- 『金瓶梅』の版元を引き受けている本屋で、馬琴に原稿を催促しに来る。
- 崋山
- 渡辺登。馬琴の親友の画家で、描き上げた寒山拾得の絵を見せに来る。
- 太郎
- 馬琴の孫で、仏参から帰るなり祖父の膝にとび上がる。
- お百
- 馬琴の妻で、声が癇高い。
- お路
- 馬琴の息子宗伯の妻で、内気らしい嫁である。
- 宗伯
- 馬琴の息子で、体が弱そうに描かれる。
- 杉
- 馬琴の家の下女である。
読みどころ
物語は、晩年の曲亭馬琴が過ごす秋の一日を朝から夜まで追う。銭湯で聞いた悪口、本屋の催促、昔の弟子志願者とのいさかい。どれも小さな出来事だが、馬琴の自尊心はそのたびに揺れる。同時代の作者を見下しながら、他人の悪意にはひどく敏感である。そんな人間が、自分の原稿の出来を疑ったときにどうなるか。作品の中心にはその問いがある。
読むときは、馬琴が自分の気持ちを細かく分析していく語り方に注目したい。腹を立てた理由を一つずつ数え上げ、最後には苦笑して空を仰ぐ。こうした心の動きが、町の看板や庭の芭蕉、鳶の声と重ねて描かれる。崋山との会話も読みどころだ。二人が笑いながら交わす「お互いに討死ですかな。」の一言は、あとの場面で別の響きを帯びる。
芥川龍之介が1917年(大正6年)に発表した作品である。江戸の実在の戯作者を借りて、ものを書く人間の苦しみと悦びを描いた。同じく芸術家の執念を扱った『地獄変』や、芭蕉の臨終を弟子たちの目で描いた『枯野抄』と並べて読むと、作者が繰り返し向き合った主題が見えてくる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
原稿の出来に絶望した馬琴は、机の前に横になったまま失敗した原稿を眺めていた。そこへ仏参から帰った孫の太郎が飛びこみ、膝の上にとび上がる。太郎は勉強しなさい、癇癪を起こしてはいけない、もっと辛抱しなさいと祖父に言い聞かせる。誰が言ったのかと尋ねると、「浅草の観音様がそう言ったの。」と答えて茶の間へ逃げていく。馬琴の心には厳粛な何かがひらめき、目に涙があふれる。彼は涙の中で笑いながら、子供のようにうなずく。
その夜、馬琴は円行燈の下で八犬伝の続きを書き始める。頭の中のかすかな光は筆が進むにつれて大きくなり、やがて流れとなって彼を押し流す。馬琴は利害も愛憎も毀誉も忘れ、不可思議な悦びの中で筆を走らせつづける。
同じころ茶の間では、お百とお路が縫い物をし、宗伯が丸薬をまろめている。お百は「お父様はまだ寝ないかねえ。」とつぶやく。夢中で書いているのだろうとお路が答えると、お百は「困り者だよ。ろくなお金にもならないのにさ。」とこぼす。宗伯もお路も黙ったままで、蟋蟀だけが書斎でも茶の間でも鳴いている。
読んでみる
青空文庫で無料で読む図書カード:戯作三昧本で読む
注や解説の付いた文庫は、言葉の意味や時代背景を確かめながら読めます。
次に読むなら
公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日