おもいだすことなど
思い出す事など
- 読了時間
- 約1時間54分
- 文字数
- 56,525字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「朝日新聞」1910(明治43)年10月~1911(明治44)年4月
三行でいうと
- 胃の病で入院していた余は、転地先の修善寺で病を再発させ、寝たまま東京の病院へ戻ってくる。
- 病床で俳句や漢詩を作り、読んだ本や見舞ってくれた人々を思い返しながら、病中の日々を書きとめていく。
- 修善寺で大量の血を吐いた夕方に何が起きたのか。妻の話から、自分の知らない三十分があったと知る。
登場人物
- 余
- 胃の病で修善寺に転地し、そこで血を吐いて危篤に陥った語り手。
- 妻
- 修善寺で看病にあたり、余が意識を失っていたあいだのことを後から話して聞かせる。
- 森成さん
- 胃腸病院から修善寺へ遣わされ、そばについて治療にあたった医師。
- 杉本さん
- 胃腸病院の副院長で、東京から修善寺へ診察に来る。
- 雪鳥君
- 社から修善寺に来て付き添い、大吐血の夜は余の手を握ったまま夜明けを迎えた。
- 東洋城
- 修善寺で別館に泊まっていた友人で、余の病状を気にかけて知らせを伝える。
- 町井さん
- 修善寺から退院まで半年のあいだ付き添った看護婦で、余に鼬とあだ名をつけられる。
- 長与院長
- 胃腸病院の院長。余が危篤だったころに病が重くなり、余の知らないうちに亡くなっていた。
読みどころ
死にかけた人は、その時のことを覚えているのか。この随筆はそこから始まる。余は修善寺で血を吐き、三十分のあいだ意識を失った。しかし本人にはその三十分の記憶がまるでない。「余は一度死んだ。」と書く漱石は、死の経験が何も残さなかったことに驚き、生と死の境目について考え続ける。
章ごとに短い話が並び、最後に俳句か漢詩が一つ添えられる。病の経過だけでなく、病床で読んだジェームスの哲学書や、隣の部屋の騒がしい湯治客、毎夜聞こえる寺の太鼓の音まで書きとめている。昏睡していると思われた余が、枕元の医師の会話をすべて聞いていた場面には、死の間際の滑稽さもにじむ。体が弱りきると、空や草花のような小さなものが大きく見えてくる。「人よりも空、語よりも黙。」と日記に書いた心持ちが、全編を通して読める。
夏目漱石は『門』を書き終えた年の夏に修善寺で大量の血を吐き、一時は危篤に陥った。この大病は漱石の生涯の転機とされ、のちの作品を考えるうえでも欠かせない出来事である。小説ではなく本人の言葉で語られる貴重な記録であり、漱石の人柄に近づきたい人に向いている。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
八月二十四日、杉本さんの診察でさほど悪くないと言われた一時間ほど後、余は八百グラムの血を吐く。余自身は意識が途切れなかったと思っていたが、後で妻から三十分ほど死んでいたと聞かされる。枕元の医師たちは独逸語で、子供に会わせたらどうかと話していた。余は目を開け、「私は子供などに会いたくはありません」と答える。
回復に向かうと、余は寝たまま空を眺めて日を送った。遠くから見舞いに来た人々の親切を思い、善良な人間になりたいと考える。粥を許され、二週間後なら動かしてよいと医者が言うと、余は修善寺を去るのが惜しくなる。白い布で包んだ寝台に乗せられたとき、余はこれを第二の葬式と思い、雨の中を東京へ向かう。
東京の病院では正月を迎え、町井さんの言った通り元日に雑煮を口にする。二月の末に退院するが、同じ病院で亡くなった患者たちを振り返ると、当時の自分と今の自分の対照がはっきり残る。余はそこにアイロニーの一語を思い浮かべる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日