のんきなかんじゃ
のんきな患者
- 読了時間
- 約35分
- 文字数
- 17,415字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「中央公論」1932(昭和7)年1月号
三行でいうと
- 肺を病む吉田は寒に入って高い熱を出し、身動きもできないまま眠れない夜の不安に苦しむ。
- 少し持ち直したころ、見舞いの弟が帰ったあとで、近所の荒物屋の娘が死んだと母親から聞かされる。
- 娘の死をきっかけに、吉田は人にすすめられた肺病の薬や、病気のせいで出会った人々を思い出していく。
登場人物
- 吉田
- 肺が悪く、東京から大阪の家へ帰って二年あまりになり、今は兄の世話で移った田舎の家の離れで寝ている。
- 母親
- 六十を越えた吉田の母で、吉田を看病するが、寝るときが来るといつもすやすやと寝てしまう。
- 末の弟
- 大阪で、もとは小間物屋だった店の半分をラジオ屋に造り変えて商売をしている。
- 荒物屋の娘
- 弟の家の近くの荒物屋で肺を病んで寝ており、毎日食後に目高を五匹ずつ飲んでいた。
- お婆さん
- 荒物屋の娘の母親で耳が聞こえず、親爺さんに内証で娘を市民病院へ連れて行ったことがある。
- 親爺さん
- 荒物屋の主人で、娘を医者にもかけないほどの吝嗇だと近所で噂されていた。
- 付添婦
- 母親が入院した病院で、吉田に肺病に効く薬を教えた中婆さんである。
読みどころ
重い肺病で寝たきりになった青年が、自分の苦しみと身近な人の死を見つめる話である。眠れない夜の吉田にとって、隣で寝ている母親はのんきな存在に見える。ただし吉田の目は自分の病床だけにとどまらない。同じ病気で死んでいく町の人々や、薬をすすめてくる人々の暮らしにまで届いていく。
最初の章では、病室に入ってきた猫を追い出そうとする場面に注目したい。身動きのできない体で猫と押し合う様子が細かく書かれている。母親が鳥の名前を当てようとする会話では、吉田が「そんなら椋鳥ですやろうかい」と返す。苦しい話のなかに笑える場面もある。一文が長く、迷っては打ち消す心の動きを切らずに追う書き方も読みどころである。
梶井基次郎は『檸檬』で知られ、自身も肺結核を患っていた。この作品は『中央公論』に発表され、亡くなる直前に書かれた最後の小説にあたる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
娘の死を聞いた吉田は、明るい病室で母親もそばにいるのに、自分だけが深いところへ落ち込んだような気持になる。しばらくして吉田が「やはりびっくりしました」と言うと、母親は「そうやろがな」と答える。母親はお婆さんが死んでまだ二か月にもならないと嘆いてみせる。
吉田は、町を離れてまだ何か月もたたないのに、肺病で死んだ人の便りが多いことに気づく。母親にすすめられた人間の脳味噌の黒焼きや、首縊りの縄をすすめられたことを思い出す。付添婦が教えた鼠の仔の黒焼きや、往来で天理教の教会へ誘ってきた女のことも思い出す。吉田は迷信を馬鹿馬鹿しく感じながらも、その奥に二つのものを見る。肺病に打つ手がないという絶望と、よくなっているという暗示をどうにかして得たい病人の願いである。
最後に吉田は、肺結核で死んだ人の九十人以上が極貧者だという統計を思い出す。荒物屋の娘の死と自分の苦しみを考え合わせ、病気は弱い者を行軍から外してはくれないと考える。豪傑も弱虫も同じ列に並ばせて、死のゴールまで引き摺ってゆく。吉田のその考えで作品は終わる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日