やまのじんせい
山の人生
- 読了時間
- 約3時間52分
- 文字数
- 115,690字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 山の人生「アサヒグラフ 第四巻第二号~第五巻第七号」朝日新聞社、1925(大正14)年1月7日~8月12日<br>山人考「大正六年日本歴史地理学会大会講演手稿」1917(大正6)年11月18日
三行でいうと
- 柳田國男が、山に入ったまま帰らなかった人々の記録と伝承を集め、そのわけを考えた研究である。
- 西美濃の炭焼きの話を序に置き、神隠しや山へ走り込んだ女たちの例を、古い書物と聞き書きから並べる。
- やがて話は山男・山女と呼ばれた者に移り、彼らが里の人に近づいた跡を一つずつ確かめていく。
登場人物
- 私
- 筆者。七つの歳に見知らぬ男に抱えられて連れ出され、四歳のときには一人で家を出て迷子になった。
- 高山嘉津間
- 江戸の少年寅吉の神界での名。十四の歳にいなくなり、十月ほどして還ってきて霊界の事情を語った。
- 常陸坊海尊
- 義経に従った法師。高館の落城ののちも仙人となって生きていると、各地で語られた。
- 清悦
- 常陸坊海尊と見なされた自称長寿者ののちの名。伊達政宗に御目見えし、源平の合戦を口で伝えた。
- 九助
- 岩木山で道に迷った樵。木の葉をまとった大男二人に小脇に抱えられ、山の下まで運ばれた。
- 弥十郎
- 岩木山の麓の鬼沢村の農夫。山の大人と懇意になり、角力を取って日を暮らした。
読みどころ
この本が問うのは、人はなぜ山に入って帰らなくなるのかである。神隠しに遭った子、産後に山へ走り込んだ女、山で出会った背の高い男が次々に現れる。柳田國男は各地の聞き書きと古い書物から例を集め、迷信として片づけずにわけを探る。序には西美濃の炭焼きの話が置かれている。筆者はそのあとに「我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遙かに物深い」と書く。
読むときは、似た話を並べていく手つきに注目したい。迷子を探す鉦太鼓、桝の底を叩く音、木の下に脱ぎそろえた履物が例に挙がる。筆者は細部の一致から、忘れられた信仰の形を推し量る。学問の話の途中に、筆者自身の思い出が入るところもある。四歳のとき、神戸の叔母さんのところへ行くと言って一人で家を出た話である。後半の山男の目撃談では、遠く離れた土地の記録が似た姿を伝えている点を筆者は重く見る。
自序の日付は大正十五年十月である。前年に『朝日グラフ』へ連載した研究を、材料を足して書き広げた本だと筆者は述べる。二十年も前から考えていた問題だとも書いている。『遠野物語』に筆録した話もいくつか引かれる。巻末には大正六年の講演の手稿『山人考』が収められ、山人についての筆者の見通しがまとめて語られる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
前半では神隠しの例が集められる。戻ってきた者が語る異界の話は、どれも本人の知識と想像の範囲を出ない。筆者はそう指摘し、高山嘉津間や島田幸安の話を比べる。常陸坊海尊や八百比丘尼を名乗る長命者、狸が化けた旅僧の書画も取り上げる。そこに見えるのは、語る者と聴く者が互いに信じ合ううちに話ができあがる仕組みである。
後半は山男・山女を見た話に移る。炉の火にあたりに来る者、握り飯をもらって材木を運ぶ者、市に買い物に出る者の話が続く。雪に残った大きな足跡や天狗倒しの物音も扱われる。終章で筆者は、中世以後の天狗の考え方に、山人に会った経験が強く働いていたと述べる。餅をきっかけに山男と付き合った農夫の話を挙げ、村々の信仰には新旧二つの系統があったと説く。古い信仰は小賢しい干渉を受けず、うぶな形のまま今日まで続いてきた。山に紛れ入った姉弟が四つ身の着物のまま親の家へ戻ってきたようなものだ、とたとえて本文は終わる。
巻末の『山人考』は大正六年の講演の手稿である。筆者は、国つ神の末が二つに分かれ、山に残った者が山人と呼ばれたと推測する。山人が絶えた道筋を六つに分け、最後に山中をさまよい続けた者が近年までいたと推定する。この方面の研究から日本人の文明史が次第に分かってくることを望んで、講演は閉じられる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日