ろんどんとう
倫敦塔
- 読了時間
- 約32分
- 文字数
- 15,954字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
三行でいうと
- 留学して間もない余は、ロンドンの人波と騒音におびえながら、地図一枚を頼りに倫敦塔へ向かう。
- 塔橋から塔を眺めるうちに引き寄せられて門をくぐり、血塔の窓に幽閉された幼い兄弟の幻を見る。
- 鴉を五羽いると言い切る不思議な女に会い、囚人の刻字が残るボーシャン塔で余の空想は深まっていく。
登場人物
- 余
- 語り手で、ロンドンに着いて間もない留学生として、ただ一度だけ倫敦塔を見物する。
- 塔の中の兄弟
- 余の空想の中で血塔の一室に閉じ込められている兄弟で、十三四と十歳くらいに見える。
- エリザベス
- 作者の付記によればエドワード四世の妃で、空想の場面で幽閉された二王子に逢いに来る。
- ビーフ・イーター
- 倫敦塔の番人で、白い髯の多い一人が余を呼び止め、日本製の古い具足を見せる。
- 男の子を連れた女
- 処刑場の跡で鴉を眺めていて、三羽しか見えない鴉を五羽いると言う。
- 首斬り役
- 余の空想に出てくる背の低い眼の凹んだ男で、穴倉で歌いながら斧を磨ぐ。
- ジェーン
- ボーシャン塔の壁に名が刻まれた人で、義父と夫の野心のために十八歳で刑場に送られた。
- 主人
- 余が泊まっている宿の主人で、塔から帰った余の話を聞く。
読みどころ
過去の重みを背負った建物の前に立つと、人はどこまで今を忘れられるのか。この作品はそこを描いている。語り手の余はロンドンの騒がしさに疲れ、たった一度訪ねた塔で英国の血の歴史に呑み込まれていく。見物の記録として始まった文章が、いつのまにか幻の舞台に変わる。その移り方に引き込まれる。
読むときは、現実と空想の切り替わりに注目したい。番兵の何気ない姿や時計の音、壁の湿り気をきっかけに、場面が音もなく過去へ滑り込む。牢の兄弟の会話や、穴倉で斧を磨ぐ男たちの歌は、芝居の一場面のように鮮やかだ。漢語の多い重い文章のなかで、宿の主人が話す軽い口語がよく目立つ。
夏目漱石がイギリス留学の体験をもとに書いた初期の短編である。1905年に雑誌「帝国文学」に発表され、のちに短編集『漾虚集』に収められた。『吾輩は猫である』と同じころの作品だが、味わいはまったく違う。小説家として歩き出したばかりの漱石が、どれほど幅広い文章を書けたかがよく分かる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
ボーシャン塔の壁を撫でると、指先が赤く濡れる。余の前に地下の穴倉が現れ、首斬り役が歌いながら斧を磨いでいる。そばの髯の男と、明日は婆様の番で、その次に例のがやられると話している。幻が消えると、さっきの女と男の子がそばにいた。女はダッドレー家の紋章を説明し、余には一字も読めない壁の題辞をすらすらと誦する。気味が悪くなった余が先へ進むと、壁に小さく「ジェーン」と刻んであった。
その前で動けなくなった余は、目隠しをされた女が首斬り台を探る場面を見る。女の顔は先刻の女とそっくりだった。女は夫ギルドフォード・ダッドレーのあとを追うと言って首を台に置き、首斬り役が斧を振り下ろす。余のズボンの膝に血が飛んだと思った瞬間、すべてが消え、あの女の姿もなかった。帰り道では鐘塔の窓からガイフォークスが顔を出し、塔は雨に煙っていた。
宿の主人に話すと、主人は鴉は奉納のもので、一羽でも減ればすぐ足すから五羽に限ると説明した。壁の題辞はつまらない落書きで贋物も多く、女のことも案内記を読んでいれば知っていて当たり前だと言う。空想を前半も後半も打ち壊された余は、それきり人と倫敦塔の話をせず、二度と見物に行かないと決める。末尾には作者の付記があり、大半は想像で書いたものであることと、シェイクスピアやエーンズウォースから借りた趣向が明かされる。
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青空文庫で無料で読む図書カード:倫敦塔本で読む
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日