とうきょうはっけい
東京八景
(苦難の或人に贈る)
- 読了時間
- 約42分
- 文字数
- 20,605字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「文学界」1941(昭和16)年1月号
三行でいうと
- 昭和十五年の夏、三十二歳の私は伊豆の山村の安宿にこもる。十年間の東京生活を書こうと地図を広げる。
- 昭和五年に上京した私は、戸塚の下宿で人目をはばかる仕事を手伝う。故郷から芸妓のHを呼び寄せる。
- Hとの暮らしのなかで、私は自首や自殺未遂、薬品の中毒を重ね、借金を抱えて落ちていく。
登場人物
- 私
- 三十二歳の作家で、十年間の東京生活を書こうと伊豆の宿にこもる。
- H
- 高等学校のころに知り合った芸妓で、私が東京に呼び寄せて共に暮らす。
- 長兄
- 故郷の兄で、たびたび裏切られながらも私に仕送りを続ける。
- Sさん
- 小石川に住む大先輩で、私は病気のころに叱られ、破門のようになっていた。
- 妻
- 先輩の世話で見合い結婚した相手で、三鷹の家で共に暮らす。
- 妻の妹
- 二十二歳で、見合いをしたT君と約婚している。
- T君
- 妻の妹の許嫁で、結納の直後に応召して東京の聯隊に入った。
読みどころ
十年分の東京暮らしを、住んだ町の風景に託して書く。これがこの作品の骨組みである。ところが八景を選ぼうとした私は、芸術になるのが風景ではなく、風景の中の自分だと気づく。青春に別れを告げるために、私はどんな自分の姿を差し出すのか。この作品は、その問いを抱えて読む一篇である。
語り方に注目したい。戸塚、五反田、八丁堀と地名が章の見出しのように並び、引っ越しのたびに暮らしの色が変わる。自分を「馬鹿である」と短く突き放す文が続き、恥ずかしい過去もためらわずに書かれる。冒頭の伊豆の宿で、女中に宿代を問われて持ち金を全部出してしまう場面は、情けなさと可笑しさが同居していて読ませる。
太宰治が自分の半生を振り返った作品で、『思い出』や『晩年』、『姥捨』など自作の成り立ちも語られる。初出は『文學界』の昭和十六年一月号である。暗い時期を語る筆と、終わり近くの明るい場面との落差が、この作家の別の面を見せている。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
自首のあと、私は芝の離れで遺書のつもりで『思い出』を書く。書き続けた作品を紙袋にためて『晩年』と名づけた。大学を卒業する気はなく、兄たちには卒業すると嘘をつき続けた。昭和十年に鎌倉の山で首をつろうとしたが、息を吹き返す。その直後に盲腸炎で入院し、痛み止めの薬の中毒になった。二十人近くから金を借り、板橋の病院に入れられる。
退院した翌年の早春、私はHが親しい洋画家と過ちを犯していたと知る。二人は水上温泉で薬を使って死のうとしたが、どちらも生き残り、別れた。Hは田舎の母親のもとへ帰る。私は最下等の下宿で酒に浸った。やがて故郷の家に不幸が続き、体も丈夫になる。私は三十歳の初夏に、生きるために書こうと決めた。『姥捨』が売れて甲州へ移り、先輩の世話で結婚し、三鷹に住む。武蔵野の夕陽を見ながら、東京八景を思いつく。
ことしの四月、私はSさんと上野で洋画の展覧会を見た。Hのあの洋画家の画の前で、Sさんは「あまいね」と言い、私は「だめです」と答える。帰り道、新橋駅前の橋の上でSさんは「画になるね」とつぶやいた。私はこの二人の姿を八景の一つに加える。二月ほどのち、増上寺の山門の前で戦地へ発つT君を見送った。私は「あとは、心配ないぞ!」と叫ぶ。数日後、私は地図と原稿用紙を持って伊豆へ発つ。十日たった今も、まだあの宿にいるらしいと書いて物語は終わる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日