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しぶえちゅうさい

渋江抽斎

森鷗外

読了時間
約5時間29分
文字数
164,420字
読みやすさ
歯ごたえあり
表記
新字新仮名
読む速さ

初出: 「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」1916(大正5)年1月13日~5月17日

三行でいうと

  1. 語り手のわたくしは古い武鑑を集めるうち、弘前の医官渋江氏の蔵書印がある本に何度も出会う。
  2. 印の主が考証家の渋江抽斎だと突き止め、子の保を探し当てて父の生涯を聞き書きしていく。
  3. 医と学問に打ち込んだ抽斎と、四人目の妻の五百を中心に、師友と家族の姿が年を追って描かれる。

登場人物

渋江抽斎
弘前藩津軽家の医官で考証家。森枳園と分担して『経籍訪古志』を書いた。
五百
抽斎の四人目の妻。神田の鉄物問屋の娘で、武家奉公をし、経学も男子と同じように学んだ。
保
抽斎の七男で跡継ぎ。幼名は成善。父の思い出を書きとめて語り手に渡す。
森枳園
抽斎の友で医者。役者に混じって舞台に立ち、阿部家の禄を失って相模へ逃れる。
比良野貞固
抽斎の二人目の妻威能の弟で、弘前藩の留守居役。五百の仮親の家を継いだ。
矢島優善
抽斎の次男。矢島家へ養子に入るが、遊び暮らして家族を困らせる。
陸
抽斎の四女。のちに長唄の師匠となり、杵屋勝久と名のる。

読みどころ

世間にはほとんど知られていない一人の医者を、作者は敬愛をこめて書き起こす。発端は、古本屋で集めた武鑑に押されていた一つの蔵書印だった。抽斎は医者で官吏で、経書も歴史も詩文も読んだ。作者はそこに自分と似た生き方を見た。「抽斎はかつてわたくしと同じ道を歩いた人である。」の一文から、私事として伝記を書く理由が読み取れる。

前半では、作者が墓を訪ね、手紙を出し、遺族を探し当てていく。その調べる過程がそのまま書かれ、探偵小説のような手ざわりがある。抽斎が生まれると師や年上の友が一人ずつ紹介され、時代の学問の地図ができていく。中盤からは妻の五百が生き生きと動き出す。懐剣を口にくわえて押し入った侍の前に出る場面は、史伝であることを忘れるほど鮮やかだ。

1916年(大正五年)に『東京日日新聞』と『大阪毎日新聞』に連載された作品だ。作者は歴史小説を書いた時期を経て、この作品から史伝の仕事を本格的に始めた。抽斎が亡くなったあとも、子孫と知人の行く末を最後まで書き続けている。漢語が多く人名も次々に出るので、家系をメモしながら読むとよい。

結末まで知りたい人へ

結末を表示する(ネタバレを含みます)

安政五年の夏、抽斎は虎列拉にかかり、五十四歳で亡くなる。その少し前には公儀に召される話があった。抽斎は主家を離れたくないと考え、断って隠居し、著述に打ち込むつもりでいた。病床ではうわごとで『医心方』の校合を続けていた。

残された五百は幼い子らを育て、身を持ちくずす優善の面倒も見る。明治元年、一家は江戸を引き上げて弘前へ移る。保はのちに単身で東京へ出て学び、母を呼び寄せる。浜松や静岡で教師や新聞記者として働き、母子は各地を移り住む。五百は明治十七年に脳卒中で倒れ、六十九歳で亡くなる。

最後の章では、優善や脩らのその後と、生き残った子孫の暮らしが語られる。保は書肆の注文で多くの本を書き、陸は杵屋勝久として長唄を教え続ける。物語は、牛込の保、本所の勝久、下渋谷の終吉の三家を挙げて閉じられる。

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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日