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おしえのきせき

押絵の奇蹟

夢野久作

読了時間
約1時間57分
文字数
58,349字
読みやすさ
歯ごたえあり
表記
新字新仮名
読む速さ

初出: 「新青年」1929(昭和4)年1月

三行でいうと

  1. 病床のピアノ教師トシ子が、名女形の菱田新太郎へ長い手紙を書く。二人は同じ病で血を吐いていた。
  2. 新太郎の顔は亡き母に生き写しだった。求婚を受けられない理由は博多の神社の二枚の押絵にあると、トシ子は打ち明ける。
  3. 母は押絵の名手で、娘の顔はその押絵の顔に似ていた。父の疑いが家を襲った日のことを、トシ子は順に語る。

登場人物

トシ子
手紙の書き手。二十三歳のピアノ教師で、背中から胸へ抜ける刀傷の痕がある。
菱田新太郎
手紙の宛名。中村半次郎の名で知られる歌舞伎の女形で、顔がトシ子の母に生き写しである。
お母様
トシ子の母。押絵と刺繍の名手で、阿古屋と犬塚信乃の押絵を作って櫛田神社に納めた。
お父様
トシ子の父。月川家から養子に入り、近所の若者に漢学を教えていた頑固な人である。
中村半太夫
新太郎の父で、東京の名女形。博多で阿古屋を演じ、のちに中村珊玉と名を改めた。
柴忠
博多一の大金持ち。母に押絵を頼み、事件のあとはトシ子を引き取って育てた。
オセキ婆さん
母を育てた乳母で、小間物の行商をしている。トシ子が生まれるときに介抱した。
岡沢先生
東京でトシ子を預かった音楽学校の講師。妻と二人でトシ子を可愛がった。

読みどころ

全編が一通の手紙で書かれている。死を覚悟した女が、思いを寄せる相手に家の秘密を打ち明けていく。顔が似ていることは血のつながりの証になるのか。その問いが母の謎めいた最期の言葉と重なり、最後まで読み手を引っぱる。

語りは女文字の手紙の体裁で、「御座います」が絶えず続く。慣れるまでは重いが、母が押絵を作る手仕事の細部や博多の暮らしの描写は鮮やかだ。演奏会で新太郎の顔を見たトシ子は、思わず「あっ。お母様……」と叫びかける。父が刀掛けに向かう座敷の場面は、子どもの目に映った順に書かれていて息苦しい。途中には雑誌の談話と古い法医学書の抜き書きがそのまま挟まれ、トシ子の推理の材料になる。

夢野久作は『ドグラ・マグラ』で知られ、手紙や告白の形で書いた作品が多い。本作もその一つで、語り手の声だけで話が進む。作者の郷里の福岡と博多の町が、物語の舞台になっている。

結末まで知りたい人へ

結末を表示する(ネタバレを含みます)

明治二十四年五月、父は櫛田神社の絵馬堂で人の噂を聞く。信乃の押絵の顔もトシ子の顔も中村半太夫に似ていると知り、帰るなり母を問い詰める。母は不義のおぼえはないと言い、この上の宮仕えはできないと答えて成敗を受ける。父は母とトシ子を一緒に刺し、母は死んでトシ子は助かった。父は仏壇の前で切腹した。

柴忠の家で育ったトシ子は、不義の子と陰で指さされる。十六の春に鏡を海へ捨てて東京へ出た。雑誌で見た新太郎の写真は母に生き写しで、二人は双子ではないかと疑う。やがて八犬伝の伏姫の話と『法医学夜話』の記事に行き当たる。強く思い続けた相手に似た子が生まれうると知り、母と半太夫の秘めた恋が二人の姿に表れたのだと考えるようになる。トシ子は結婚を断り、ピアノに打ち込んで暮らした。

手紙の終わりで、トシ子は本当のことを判断できるのは新太郎一人だと書く。母から受け継いだ病の身は捧げられないとも書き、自分が死んだら墓に花菖蒲を手向けてほしいと頼む。二人の恋が気高く清浄なまま悲しく終わるよう願い、手紙は明治三十五年三月二十九日の日付で結ばれる。

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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日