おんしゅうのかなたに
恩讐の彼方に
- 読了時間
- 約46分
- 文字数
- 22,632字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
三行でいうと
- 旗本の中川三郎兵衛に仕える市九郎は、主人の妾との仲をとがめられて斬り合いになり、主人を殺してしまう。
- お弓と江戸を逃れた市九郎は、木曾の鳥居峠で茶店を開いて強盗を重ねるが、ある夜お弓を捨てて逃げ出す。
- 出家して了海となった市九郎は、豊前の難所で岩壁を掘り抜こうと誓う。そこへ父の敵を探す実之助が現れる。
登場人物
- 市九郎
- 中川三郎兵衛に仕えていた若い侍で、主人を斬って逃げたのち出家し、了海と名乗る。
- お弓
- 三郎兵衛の妾で、市九郎とともに江戸を逃げ、強盗の暮らしに引き込む。
- 中川三郎兵衛
- 浅草田原町の旗本で、市九郎の主人。
- 実之助
- 三郎兵衛の一子で、柳生の道場で免許皆伝を得てから父の敵を探す旅に出る。
読みどころ
人を殺した罪は、償いでどこまで消せるのか。主殺しと強盗を重ねた男が、残りの人生を一つの仕事に注ぎこむ。親の敵を討つことは武士の務めとされていた。その目の前に、敵が人々のために身を削る姿で現れる。罪を背負う者と、恨みを背負う者のどちらの側からも読める物語である。
前半は市九郎が悪に落ちていく過程を、ためらいなく描く。お弓との暮らしの中で、市九郎の心が変わる夜が一つの山になる。後半は岩を掘る年月が、一年ごとに区切って語られる。里人の態度が嘲りから驚き、同情へと移っていくところに注目したい。「とうとう気が狂った!」と笑われた男の仕事が、少しずつ周りを動かしていく。
作者は菊池寛で、大正期に発表された歴史小説の代表作の一つである。大分県の耶馬渓に残る青の洞門の言い伝えをもとにしている。漢語の多い文章だが、筋は一本道で迷わずに読める。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
了海に名乗りをあげた実之助は、斬りかかろうとして石工や通りがかりの人々に囲まれる。了海は自分から討たれようとするが、石工の統領が間に入る。刳貫が向こう側へ通じるまで命を預けてほしいと頼み、通じたらその場で討たせると約束した。実之助はこの願いを聞き入れる。
それでも実之助は待ちきれず、五日目の夜に洞窟へ忍び込む。奥では了海がひとり槌を振るい、経を唱えていた。その音と声に打たれた実之助は、竣工の日を待とうと心を決める。やがて実之助も石工にまじって槌を振るい、敵どうしが夜も並んで岩を掘るようになった。
延享三年九月十日の夜、了海の槌が岩を突き抜け、小さな穴から月に照らされた山国川が見えた。了海は「実之助どの。御覧なされい。二十一年の大誓願、端なくも今宵成就いたした」と叫び、二人は手を取り合って泣く。了海は約束どおり自分を斬るよう求めた。しかし実之助は討つことができず、ふたたび老僧の手を取り、二人で涙にむせんだ。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日