とうじゅうろうのこい
藤十郎の恋
- 読了時間
- 約24分
- 文字数
- 11,807字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
三行でいうと
- 元禄の京で、名人坂田藤十郎は近松門左衛門の新作で初めて人妻との密通を演じることになる。
- 工夫が付かずに悩む藤十郎は、茶屋宗清の離座敷で女房のお梶に二十年来の恋を打ち明ける。
- 藤十郎の声は熱情に震えているが、目は冷たく澄んだまま、泣き伏すお梶を見詰めている。
登場人物
- 坂田藤十郎
- 都万太夫座の座元で、三が津総芸頭と賛えられる名人。今年四十五になる。
- お梶
- 茶屋宗清の女房で、四十に近い美しい女。若い頃は宮川町の唄女だった。
- 霧浪千寿
- 同じ座の立女形で、美貌の若い俳優。新作ではおさんを演じる。
- 仙台弥五七
- 同じ座の道化方。楽屋で流れる藤十郎の噂を、道化た調子でお梶に問う。
- 中村四郎五郎
- 同じ座の立役で、新作では大経師以春に扮する。
- 万太夫座の若太夫
- 万太夫座の持主。顔つなぎの宴で、藤十郎に人妻との恋の覚えを尋ねて座を白けさせる。
読みどころ
藤十郎は傾城買の役では日本無類とされる名人だが、人妻との道ならぬ恋は演じた覚えがない。演じたことのない心をどうすれば舞台に乗せられるのか。その答えを探す藤十郎は、ひとりの女の前に立つ。芸の真実を求める心と、目の前の人の心とが、同じ場面でぶつかり合う。
注目したいのは第二場のト書きである。藤十郎の声と身振りは恋に狂う男そのものだが、目だけは刃のように澄んでいると、菊池寛は繰り返し書き分けている。台詞だけを追えば本物の告白に読める。そこへト書きを重ねて読むと、同じ場面がまったく違って見える。幕開きに歌われる小唄「人と契るなら、薄く契りて末遂げよ」も覚えておきたい。
本作は一幕三場の戯曲で、台詞とト書きだけで進む。元禄の上方歌舞伎で名を上げた実在の役者坂田藤十郎を主人公にしている。近松門左衛門や江戸の少長の名も出てきて、芝居町の熱気が伝わってくる。菊池寛は『父帰る』などの戯曲でも知られ、本作も短く引き締まった構成で読ませる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
お梶は藤十郎に、今の言葉は皆本心かと問う。藤十郎が人妻に言い寄る以上は命がけの恋だと答えると、お梶は覚悟を決め、絹行燈の灯を吹き消す。闇の中で藤十郎はお梶のそばをすり抜けて廊下へ出る。追いかけてきたお梶の前で障子を閉め、早足で逃げ去る。お梶は障子に縋ったまま泣き崩れる。
七日ほど後、新しい狂言は大入りで、藤十郎の密夫の身のこなしが評判になる。楽屋では、藤十郎が工夫のために茶屋の女房に恋をしかけたと噂されている。千寿は、あの晩に藤十郎が蒼い顔で戻り、工夫が付いたと告げた様子を話す。楽屋を訪れたお梶は、弥五七に問われて「偽りにもせよ、藤十郎様の恋の相手に、一度でもなれば、女子に生まれた本望でござりますわい」と答える。藤十郎は噂を埒もない沙汰と笑い、打ち消すよう皆に頼む。
幕が開く直前、楽屋で女が自害したと騒ぎになる。運ばれてきたのはお梶で、短刀で胸の下を一突きしていた。若太夫と弥五七は狂言の人気に傷が付くのを心配する。藤十郎は「藤十郎の芸の人気が女子一人の命などで傷つけられてよいものか」と言い放ち、千寿の手を取って舞台へ向かう。一度引き返して死骸を一目見るが、心を決めたように去り、幕が下りる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日