やすいふじん
安井夫人
- 読了時間
- 約23分
- 文字数
- 11,258字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「太陽」1914(大正3)年4月
三行でいうと
- 日向国清武村の儒者の二男、仲平は痘痕と片目で背も低い。郷里では「仲平さんは不男だ」と蔭で言われていた。
- 三十を前にした仲平のため、父の滄洲翁は親戚の娘お豊を嫁に望む。だがお豊はその場できっぱり断ってしまう。
- ところが「岡の小町」と呼ばれる十六歳の妹お佐代が、自分が嫁に行きたいと母に申し出る。
登場人物
- 仲平
- 日向国清武村の儒者の二男で、疱瘡のために痘痕が残り、右目がつぶれた。背が低い。
- お佐代さん
- 川添家の妹娘で仲平の従妹にあたり、器量よしで「岡の小町」と呼ばれている。
- 滄洲翁
- 仲平の父で、自分も痘痕と片目があり、息子の嫁選びに心を砕く。
- お豊さん
- お佐代さんの姉で、快活で思ったことを素直に口に出す。
- 長倉のご新造
- 仲平の姉で、父に頼まれて縁談の使者を引き受ける。
- 川添のご新造
- お豊さんとお佐代さんの母で、仲平を贔屓にしている。
- 文治
- 仲平の兄で、背が高く色白で目鼻立ちもよいが、体が弱い。
読みどころ
痘痕と片目の学者に、評判の美しい娘が自分から嫁ぐ。周りの誰もが首をかしげたこの選択に、作品は一つの答えを用意しない。お佐代さんは何を望んで生きたのか。語り手は世間の見方を一つずつ確かめながら、その問いに近づいていく。
前半は縁談をめぐる短い場面がいきいきと動く。雛祭の支度の最中に、仲平の姉が桃の枝を持って訪ねてくる。そして台所で話を切り出す。快活なお豊さんの返事と内気なお佐代さんの申し出は、まるで違う声で書かれている。若い仲平が大阪で豆を煮て倹約し、行燈で酒を温める場面も印象に残る。後半は年月と転居を淡々と並べる、記録のような文章になる。
森鷗外が晩年に書いた歴史小説の一つで、幕末の儒学者、安井息軒とその妻を描いている。原文の末尾には大正三年四月の日付がある。『阿部一族』や『山椒大夫』と同じ時期の作品にあたる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
お佐代さんは仲平に嫁ぎ、内気な娘から書生の出入りする家を仕切る夫人になる。仲平は江戸へ移って塾を開き、お佐代さんも娘を連れて後から出てくる。女中は使わず、自分で飯を炊いて働く。子を何人も産むが、その多くを早くに亡くす。仲平は大儒息軒先生として世に知られるようになる。
お佐代さんは五十一になった年の正月四日に亡くなる。絹物はめったに着ず、労苦の報酬を何も求めなかった。語り手はお佐代さんが何を望んだのかを問う。夫の栄達を望んだという見方は否定しない。ただ、報酬を得ないうちに死んだという見方には同意しない。その目は遠い所に注がれていたのではないかと語り手は書く。
妻の死から六か月後、仲平は江戸城に召されて将軍に謁見し、直参になる。幕府が倒れた年に隠居して、王子の農家に身をひそめる。その後も住まいを移し、七十八の年の九月二十三日に亡くなる。家は十歳の孫の千菊が継いだ。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日