みいら
木乃伊
- 読了時間
- 約9分
- 文字数
- 4,301字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「光と風と夢」筑摩書房、1942(昭和17)年7月15日
三行でいうと
- 波斯王カンビュセスが埃及に攻め入った軍に、都の風になじまない陰鬱な部将パリスカスがいた。
- 埃及に入ると、彼は習ったこともない埃及人の言葉が分かり、方尖塔の文字まで読めてしまう。
- 先王アメシスの墓を探すうち、一人で古い墓室に迷い込んだ彼は、ある木乃伊の顔から目を離せなくなる。
登場人物
- パリスカス
- カンビュセス王の部将で、東方のバクトリヤ辺から来た家の出の、夢想的な田舎者である。
- カンビュセス
- 埃及に侵入した波斯王で、次第に狂暴になり、先王アメシスの屍を辱めようとする。
- アメシス
- 半年前に死んだ埃及の先王で、その墓所の場所は巧みに隠されていた。
- プサメニトス
- 埃及王で、カンビュセスに牛の血を飲まされて殺される。
読みどころ
自分はかつて何者だったのか。前世の記憶がよみがえる体験を、古代の戦場を舞台に描いた短編である。思い出せそうで思い出せないもどかしさが、少しずつ恐怖へ変わっていく。その変わり方がこの作品の芯にある。
読むときは、墓室で記憶が戻る場面の書き方に注目したい。砂地の陽の熱さ、氾濫のあとの泥のにおい、神殿の石の冷たさが一度に押し寄せる。それなのに名前だけは一つも戻らず、記憶の奇妙さがよく伝わる。冬の湖の氷や深海の盲魚のたとえも、張りつめた意識を目に見える形にしている。
中島敦は古代の中国や西アジアに題材を取った短編を多く書いた。本作は『山月記』『狐憑』『文字禍』とともに、『古譚』の総題でまとめられた一編である。漢語の多い文章だが短いので、同じ『古譚』の作品と読み比べるのもよい。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
墓室で木乃伊の顔に見入るうち、パリスカスの心はやすらかになる。埃及に来てから思い出せなかったことが分かり、彼は「俺は、もと、この木乃伊だったんだよ。たしかに。」と声に出す。前世の記憶が一度によみがえる。プターの神殿の祭司だったらしいこと、寂しげな妻の眼、熱病の床で妻に見守られて死んだ場面が浮かぶ。ただし名前だけは何一つ思い出せない。
さらに記憶の底を見つめると、前世の自分も薄暗い小室で木乃伊と向き合っていた。その木乃伊が前々世の自分の身体だと確かめている姿である。合わせ鏡のように記憶が無限に続いているのではないかと思い、彼はぞっとする。逃げ出そうとしても足がすくみ、木乃伊の顔から目を離せない。
翌日、他の部隊の波斯兵が、木乃伊を固く抱いたまま地下室に倒れている彼を見つける。息は吹き返したが、明らかに狂っていた。口にするうわごとは、波斯語ではなくすべて埃及語だった。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日