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めいじんでん

名人伝

中島敦

読了時間
約12分
文字数
5,714字
読みやすさ
歯ごたえあり
表記
新字新仮名
読む速さ

三行でいうと

  1. 趙の都の邯鄲に住む紀昌は、天下第一の弓の名人になろうと志し、名手の飛衛に弟子入りする。
  2. 瞬きをしない修練に二年、虱を見つめ続けて三年をかけ、紀昌は師の奥儀をたちまち身につけていく。
  3. 師まで除こうとした紀昌は、飛衛に勧められて霍山の頂に住む老師の甘蠅をたずねる旅に出る。

登場人物

紀昌
趙の邯鄲に住み、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた男。
飛衛
百歩を隔てて柳葉を射れば百発百中という名手で、紀昌の最初の師。
甘蠅
霍山の頂に住む百歳を超えるとみられる老人で、飛衛が古今に並ぶ者のない大家と呼ぶ人物。

読みどころ

技を極めた先には何があるのか。弓の名人を目指す一人の男の生涯を通して、この問いを描いた寓話だ。修業の果てに紀昌がたどり着いた姿は、読み手の予想を何度も裏切る。名人とは何者かを最後まで考えさせる作品である。

機織台の下に仰向けになって瞬きをこらえる場面や、窓に吊るした虱が馬ほどに見えてくる場面など、修業の描写は大げさで可笑しい。漢語の多い硬い文章で真顔のまま語るので、可笑しさがいっそう際立つ。語り手は途中で括弧書きを挟み、今日の道義観で見るのは当たらないと読者に断りを入れる。物語との距離を取るこの語り口にも注目したい。

中島敦は中国の古典に材をとった作品で知られ、『山月記』や『李陵』がある。本作は『列子』に見える紀昌と飛衛の話を下敷きにしている。末尾には昭和十七年十二月の日付があり、作者が亡くなった年の作品だ。

結末まで知りたい人へ

結末を表示する(ネタバレを含みます)

甘蠅は腰の曲がったよぼよぼの老人だった。紀昌は渡り鳥を一矢で五羽落として腕を見せるが、老人はそれを射之射にすぎないと言う。絶壁から突き出た石の上に立たされると、紀昌は恐ろしさに伏してしまった。老人は素手のまま見えない矢を放ち、空高くを舞う鳶を落としてみせる。紀昌はこの老名人のもとに九年とどまった。

山を降りた紀昌は、木偶のように表情のない顔に変わっていた。飛衛はその顔を見て、これでこそ天下の名人だと感嘆する。邯鄲の人々は妙技を期待するが、紀昌は弓を手に取ろうとしない。わけを問われると、至射は射ることなしと答えた。弓を執らない名人の評判はかえって高まり、夜ふけに屋根の上で弓弦の音がするといった噂が広まっていく。

紀昌は語ることも稀になり、甘蠅のもとを辞してから四十年後に静かに世を去った。死ぬ一二年前、紀昌は知人の家で見覚えのある器具を見たが、その名も使い道も思い出せない。三度目の問いで冗談ではないと知った主人は狼狽し、名人が弓の名も使い途も忘れたのかと叫ぶ。その後しばらく、邯鄲では画家が絵筆を隠し、楽人は瑟の絃を断ったと伝えられる。

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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日