きつねつき
狐憑
- 読了時間
- 約10分
- 文字数
- 4,786字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「光と風と夢」筑摩書房、1942(昭和17)年7月15日
三行でいうと
- 湖の上に家を建てて暮らす部落で、平凡な男シャクに鷹や狼の霊がのり移ったと評判になる。
- 弟デックの死から始まった譫言は日ごとに巧みになり、作り話と疑われても聞き手は増えていく。
- 若者が仕事を怠るのを長老たちは苦々しく思う。あてこすりの話にも怒り、シャクの排斥を企む。
登場人物
- シャク
- ネウリ部落の湖上民で、弟の死の後から鳥獣や人間の言葉を語り出す男。
- デック
- シャクの弟で、北方の遊牧民ウグリ族の襲撃で殺され、頭と右手を持ち去られる。
- 長老
- 家の印に豹の爪を持つ最も有力な家柄の老人で、シャクの排斥を言い出す。
- 縮れっ毛の青年
- シャクの最も熱心な聴手だった若者。
読みどころ
物語を語る者は、どこから言葉を得ているのか。シャクは自分の口から出る話を、何かが憑いたせいだと考える。聞き手たちも同じように考える。見てもいないことを詳しく語る力を、本人も周りも説明できない。この作品は、文字も持たない人々の中に最初の語り手が生まれる様子を描いている。
注目したいのは、シャクが語ることの楽しさに目覚めていく場面だ。弟の死を悼むうちに、思わず妙なことを口走ったのが始まりだった。やがてシャクは、「自己の想像をもって自分以外のものに乗り移ることの面白さ」を知る。聞き手の顔に安堵や恐怖が浮かぶにつれて、話はどんどん巧みになっていく。一方で、語り手は人々の暮らしの細部を淡々と書き込む。湖上の家や馬乳酒、雷鳴への恐れといった描写が、話の重みを支えている。
中島敦は、中国の古典や古代の世界を題材に、短く引き締まった文章で人間の業を書いた作家だ。この作品は『山月記』などとともに「古譚」の題で『文學界』に発表された。同じ「古譚」の一篇『文字禍』と並べて読むと、言葉と文字をめぐる作者の関心が見えてくる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
長老ともう一人の男は、シャクが村の仕事を何もしていないことに人々の目を向けさせる。冬籠りの品を分ける時、人々はそれをはっきり感じる。それでも話の面白さに惹かれ、働かないシャクにも不承無承食物を分け与える。春になって外へ出たシャクは呆けたようになり、もう新しい物語を語れない。人々は「シャクの憑きものが落ちた」と言う。
シャクは働きもせず、毎日ぼんやり湖を眺めて暮らす。かつての聴手たちは、冬の食物を分けたことを腹立たしく思い出す。部落では、有害無用と認められた者を協議の上で処分できる。身内の無いシャクをかばう者は一人もいない。雷雨季が来ると、長老は占卜者を牛角杯二箇で買収し、シャクと雷鳴を結び付ける。決められた時刻のあいだに三度以上雷鳴が轟けば、シャクは翌日処分されることになる。その日の午後、ある者は四度、ある者は五度雷鳴を聞いた。
翌日の夕方、湖畔で饗宴が開かれ、大鍋では羊や馬の肉に交じってシャクの肉が煮えている。シャクの最も熱心な聴手だった縮れっ毛の青年が、シャクの肩の肉を頬張る。長老はシャクの大腿骨の肉をしゃぶり、骨を湖へ投げる。最後に語り手は、ホメロスが歌い出すずっと前に、こうして一人の詩人が喰われたことを誰も知らないと結ぶ。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日