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きりぎりす

きりぎりす

太宰治

読了時間
約26分
文字数
12,630字
読みやすさ
ふつう
表記
新字新仮名
読む速さ

初出: 「新潮」1940(昭和15)年11月号

三行でいうと

  1. 二十四歳の妻が、五年連れ添った画家の夫へ別れを告げる。全編がその妻の語りかけでできている。
  2. 貧しくても誰にも頭を下げない人だと信じて嫁いだ夫が、個展の成功を境に少しずつ変わっていく。
  3. 大きな家に移り、客が増え、夫は金の話と人の陰口を口にする。妻はその嘘を一つずつ挙げていく。

登場人物

私
二十四歳の妻で、十九の春に見合いをして、両親の反対を押し切って画家のもとへ嫁いだ。
あなた
瀬戸内海の故郷から親に無断で東京へ出てきた画家で、個展の成功を境に名が知られるようになる。
但馬さん
骨董屋で、夫の画を売り歩き、縁談も夫の知らないうちに一存で申し込んだ。
雨宮さん
夫の友人で、奥さんの病気で困って金の相談に来る。
葛西さん
夫の友人で、夫はこの人と雨宮さんの悪口を、相手によって言い分けている。
岡井先生
夫の画のいちばん熱心な支持者とされる有名な大家で、小さな家に住んでいる。

読みどころ

世の中で成功するのは正しいことなのか。この小説は、その問いを一人の妻の言葉だけで突きつける。妻が惹かれたのは、誰にも認められず、貧しくても頭を下げない画家だった。その夫が世に認められたとき、妻にはそれが喜びではなく恥ずかしさとして迫ってくる。成功を責める妻と、何ひとつ躓かない夫のどちらが正しいのか。作品はその答えを出さず、読む人に預けたまま終わる。

全編が「あなた」への語りかけで、地の文はひとつも無い。妻は但馬さんの縁談から語り起こし、父の会社の寒い応接室で初めて夫の画を見た日のことを話す。そのとき妻は「この画は、私でなければ、わからないのだと思いました。」と感じていた。この思いが、後の失望の深さにつながっていく。歯医者通いや年賀状三百枚、財布へのお金の分け方といった細かな出来事から、夫の変わりようが少しずつ見えてくる。題名のきりぎりすが出てくるのは最後の場面だけなので、そこまで通して読みたい。

太宰治は女性の一人語りの作品をいくつも書いており、この作品もその一つである。『新潮』に1940年に発表された。芸術家の成功と俗っぽさを、そばで見ていた妻の目から描いた短編である。

結末まで知りたい人へ

結末を表示する(ネタバレを含みます)

個展は大成功し、夫は二科会の会員になる。三鷹の大きな家に移ると、夫は人の受け売りを自分の意見として客に話し、金にこだわるようになる。新聞は夫の画を孤高や清貧と褒めるが、妻にはそのどれも夫に当てはまるとは思えない。夫は二科を抜け、陰で笑っていた人たちを集めて新しい団体を作る。妻は悪いことが起こるよう祈るほどになるが、起こるのはいいことばかりだった。

正月に二人で岡井先生の家へ年始に行く。夫は先生の前でへりくだっていたのに、家を出て少し歩くと先生の陰口をたたく。妻はこのとき別れを決める。夫は恩人の但馬さんまで陰で「ばか」と呼び、但馬さん自身もそれを笑って受け流している。ある晩、夫がラジオで話すのを聞いた妻は、その声を他人の声のように感じた。夫が「私の、こんにち在るは」と言ったところで、妻はスイッチを切る。

その夜、暗い部屋で仰向けに寝ていると、縁の下でこおろぎが鳴いていた。妻には、背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているように思える。「この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。」と妻は書く。自分が間違っているのかもしれないと思いながらも、どこがどう間違っているのかは分からないままで、手紙は終わる。

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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日