じょせいと
女生徒
- 読了時間
- 約1時間3分
- 文字数
- 31,090字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「文学界」1939(昭和14)年4月
三行でいうと
- 五月の最初の朝、眼鏡をかけた女学生の「私」が目をさまし、亡き父を思いながら犬と遊んで家を出る。
- 電車では本の言葉に頼る自分を責め、学校では先生や級友を冷ややかに眺めながら一日を過ごす。
- 帰り道の草原で夕焼けに心を打たれるが、家では母の客が待っており、夕食の支度が始まる。
登場人物
- 私
- 語り手の女学生で、眼鏡をかけており、父を亡くして母と二人で暮らしている。
- お母さん
- 人の世話で始終出かけている母で、客の前では娘によそよそしくなる。
- お父さん
- 亡くなった父で、幼い「私」を「中心はずれの子だ」と母に話していた。
- ジャピイ
- 真っ白な毛の飼い犬で、「私」にかわいがられている。
- カア
- 足の悪い犬で、「私」はかわいそうに思うからこそ、わざと意地悪をする。
- キン子さん
- 席が隣のお寺の娘で、「私」を一番の親友だと皆に言っている。
- 伊藤先生
- 図画の先生で、雨傘を持った「私」を絵のモデルにする。
- 今井田さん
- 妻と子の良夫さんを連れて訪ねてくる客で、「私」はこの一家を嫌っている。
- 新ちゃん
- 「私」と同い年のいとこで、若くして目が見えなくなった。
読みどころ
大人になりかけた一人の少女が、自分の本当の姿をつかめずに揺れる一日を描いた作品である。「私」は人の目を気にする卑屈さや、本の言葉をまねるずるさを責める。そうかと思えば、次の瞬間には空の色に胸を打たれている。気分は数行ごとに入れ替わり、本人もその移り気をもてあましている。「ほんとうに私は、どれが本当の自分だかわからない。」という一文が作品の芯にある。
全編が「私」の独り言で、朝の目覚めから夜眠るまでを時間の順にたどる。思いついたことが説明ぬきで次々に流れていくので、日記をのぞくような近さがある。注目したいのは身の回りの小さな物だ。下着に刺繍した白い薔薇、母の古い雨傘、机の上の百合が何度も出てきて、そのたびに気分が動く。冒頭の「朝は、意地悪。」と、夕焼けを見たあとの「美しく生きたいと思います。」を読み比べると、一日の心の振れ幅がよく分かる。
太宰治は女性の一人称の独白体を得意とし、のちの『斜陽』でもこの書き方を使っている。本作は1939年に雑誌『文學界』に発表された。女性の語りで書かれた太宰治の作品の中でも、早い時期の一作である。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
夕食の席で、今井田さん夫婦は「私」のロココ料理をほめる。「私」が正直においしくないと言っても、二人は笑い興じるだけだ。母まで客に調子を合わせたので、「私」は情けなくなる。客が帰るとき、母は用事があるといって一緒に出かけていく。「私」は一人で風呂をわかし、新ちゃんのことや自分の体が大人になっていくことを思う。
帰ってきた母は機嫌がよかった。肩をもんでくれれば、見たがっていた映画に行ってよいと言う。「私」は母の気づかいを察してうれしくなり、客の前で母を恨んだことを恥じる。肩もみのあと、お礼にクオレを読んで聞かせると、母はうつむいて泣いた。
母が先に寝ると、「私」は真夜中に洗濯をしながら月に笑いかける。大人になるまでの苦しさを誰も教えてくれないと考える。寝床で母から夏の靴の話をされ、もう欲しくないと答える。床につくと「幸福は一夜おくれて来る。」という言葉が浮かぶ。庭を歩くカアの足音を聞いて「あすは、かわいがってあげます。」と思う。顔を両手で覆って眠りに落ちる「私」は、自分を「王子さまのいないシンデレラ姫」と呼ぶ。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日