はな
鼻
- 読了時間
- 約12分
- 文字数
- 5,735字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「新思潮」1916(大正5)年2月
三行でいうと
- 池の尾の禅智内供は、顋の下まで垂れた長い鼻を内心ずっと苦にしている。人前では気にしない顔ですましている。
- 京へ上った弟子の僧が、鼻を短くする法を医者から教わってくる。内供は気乗りしない風を装いながら試すことになる。
- 鼻を茹でて踏ませると、鼻は本当に短くなる。ところが寺の者たちは、前よりも遠慮なく内供を笑いはじめる。
登場人物
- 禅智内供
- 池の尾の寺の五十歳を越えた僧で、上唇の上から顋の下まで下がる長い鼻を内心で苦にしている。
- 弟子の僧
- 京で知り合いの医者から鼻を短くする法を教わり、内供の鼻を茹でて踏む。
- 中童子
- 以前、鼻を持ち上げる役の最中にくしゃみをして、内供の鼻を粥の中へ落としたことがある。
読みどころ
内供を苦しめているのは、鼻の不便さよりも、鼻のせいで傷つく自尊心である。人には気にしていない顔を見せながら、ひとりで鏡をのぞき、寺に出入りする人の鼻ばかり見ている。そんな人物の見栄と恥ずかしさを、語り手は少し離れたところから可笑しみを込めて描く。願いがかなったあとで人の心がどう動くのかが、この短い話の芯にある。
読むときは、内供が弟子の僧に法を勧めさせるまでの駆け引きに注目したい。自分からは言い出さず、相手が勧めてくるのを待つ。鼻を茹でて踏む場面では、弟子の僧の「もう茹った時分でござろう」のような台詞が、真面目な手当てを滑稽に見せる。語り手がときおり前に出て、内供の心や周りの人々の心を言葉にしてみせる語り方も読みどころである。
芥川龍之介は、平安時代の説話を材料にした作品を多く書いた。この作品は大正五年に発表され、夏目漱石に高く評価された初期の短編である。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
鼻が短くなっても、寺を訪れた侍や中童子、下法師たちは前より可笑しそうに内供を笑う。内供は理由が分からないまま不快になり、語り手はその底にある気持ちを「傍観者の利己主義」と呼ぶ。人の不幸が去ると物足りなくなり、かえって敵意を抱く心である。
内供は日ごとに機嫌が悪くなり、誰でも意地悪く叱りつける。鼻を療治した弟子の僧さえ陰口をきくようになる。ある日、中童子が「鼻を打たれまい。それ、鼻を打たれまい」と囃しながら、木の片で犬を追い回していた。内供はその木の片を取り上げて中童子の顔を打つ。それは以前の鼻持上げの木だった。内供は鼻が短くなったことを恨めしく思うようになる。
ある風の強い寒い夜、内供は鼻がむず痒く、むくんで熱があるのに気づく。翌朝、銀杏や橡の葉が落ちた明るい庭を前に縁に立つと、鼻は一晩で元の長さに戻っていた。内供ははればれした心もちになり、心の中で「こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない」と囁く。長い鼻を明け方の秋風にぶらつかせながら物語は終わる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日