にほんふどうき
日本婦道記
箭竹
- 読了時間
- 約23分
- 文字数
- 11,452字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「婦人倶楽部」大日本雄辯會講談社、1942(昭和17)年12月
三行でいうと
- 万治二年の秋、将軍家綱は射ごこちのよい矢に、きまって「大願」の二字が彫られていることに気づく。
- 矢は岡崎の水野忠善が献上した品だった。話は十八年前、家臣の茅野百記が久能山で切腹した日にさかのぼる。
- 領内追放となった妻みよは、幼い安之助を連れて主君の国替えを追う。岡崎で箭竹をつくりながら子を育てる。
登場人物
- みよ
- 茅野百記の妻で、夫の死後は追放の身のまま安之助を育て、主君の国替えのたびに移り住む。
- 安之助
- みよと百記の子で、父が死んだときは二歳の誕生を迎えるところだった。
- 茅野百記
- 水野忠善の家臣で二百石の書院番。石の鳥居の奉納の事務がしらとして久能山へ出張する。
- 水野けんもつ忠善
- 茅野百記の主君で、将軍へ献上した矢のなかに「大願」と彫られた矢がまじっていた。
- 家綱
- 十九歳の将軍で、「大願」と彫られた矢に気づき、出どころを調べさせる。
- 西尾丹後
- 御弓矢槍奉行の丹後守忠長で、家綱の命を受けて矢の出どころを探す。
- 六兵衛
- 茅野家の下僕で、藤枝在の水守村にある自分の家に母子を住まわせる。
- 熊造
- 岡崎の家主で伝馬問屋の親方。みよに箭竹つくりの仕事を世話する。
読みどころ
将軍が気に入った矢には、なぜか同じ二字が彫られていた。物語はこの小さな謎から始まり、十八年前へさかのぼる。夫を失い、追放された女が何を支えに年月を生きたのか。読者は矢の謎を追いながら、その答えにたどり着く。
みよが泣く場面は少ない。夫の遺髪の前で声をしのんで泣いたあと、人目に隠れて泣くのは一度だけである。六兵衛の家の背戸で、柿の若木が赤い実をつけたのを見たときだった。冒頭の縁側で眺めていた青柿とこの柿の実が呼び合うので、二つを並べて読みたい。節の名や長さの決まりなど箭竹つくりの作法も細かく描かれ、草鞋の評判を伝える「やごめわろんじは百日はける」の通り言葉も出てくる。
『日本婦道記』は、山本周五郎が武家の女性を描いた連作である。連作は直木賞に選ばれたが、山本周五郎は受賞を辞退した。この一編では、主君のために生きる母の覚悟と、子を世に出したい母の情が、同じ一本の矢のなかに込められている。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
十八歳になった安之助は、自分が働いて母を楽にしたいと申し出る。みよはそれを止め、父は私ごとで自害してさむらいの道にはずれたと語る。安之助は「千人にすぐれた武士」になることだけをつとめとし、自分は父の仕残した奉公をつぐなうのがつとめだと言い聞かせる。安之助は、いつかは母子の真心がとのさまにわかってもらえる時が来るかと問う。その言葉を打ち消せなかったみよは、つくる箭竹の筈巻の下に「大願」の二字を小さく彫りつけるようになった。
水野忠善はみずから審問に当たり、みよの申し立てを聴きながら泣く。夫の遺志をついで二十年、ゆるがぬ一心を貫いたことに打たれ、江戸の丹後守へ書状をしたためる。そこには、大願の二字は忠善の目に触れるようにと彫ったもので、将軍の目に触れたのはみよの一心を神明が加護したからだろうと記した。
安之助はほどなく召し出され、父の跡目を再興する。みよはそのときもなお、これから本当の御奉公がはじまると戒め、あなたは茅野百記の子だと言い聞かせる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日