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にほんふどうき

日本婦道記

松の花

山本周五郎

読了時間
約22分
文字数
10,687字
読みやすさ
ふつう
表記
新字新仮名
読む速さ

初出: 「婦人倶楽部」大日本雄辯會講談社、1942(昭和17)年6月

三行でいうと

  1. 紀州徳川家の年寄役、佐野藤右衛門は烈女節婦の伝記『松の花』を校閲している。その朝、病床の妻やすが息をひきとる。
  2. 死んだ妻の手は、千石の家の奥方とは思えないほど荒れていた。通夜では召使の女房たちが、親を失ったように泣く。
  3. 初七日のあと、形見分けのために妻の箪笥を開ける。出てきたのは、洗い古して継ぎを当てた木綿物ばかりだった。

登場人物

佐野藤右衛門
紀州徳川家の年寄役で千石取り。六十四歳で、藩譜編纂のかかりを命じられている。
やす
藤右衛門の妻。去年の夏から癌をわずらい、物語の冒頭で亡くなる。
格之助
藤右衛門の長子。母の暮らしぶりを父に語る。
金三郎
藤右衛門の二男。召使の女房たちの通夜の伽を許してほしいと父に願い出る。
なみ
格之助の嫁。嫁いだとき、やすから家の心得を諭された。
そよ
やすが目をかけていた婢頭。形見分けの場で女房たちに奥さまの暮らしを語る。
佐野伊右衛門
本家の当主で二千六百石の老職。藤右衛門より二歳年上。

読みどころ

三十年ともに暮らした相手のことを、どれだけ知っていたのか。この作品の中心にはその問いがある。妻を亡くした藤右衛門は、荒れた手や粗末な遺品から、知らなかった妻の姿を一つずつ見つけていく。大きな事件は起きない。それでも、一人の女性の生き方が少しずつ見えてくる運びに引きこまれる。

妻が息をひきとった日にも、藤右衛門は書斎で校閲を続ける。その胸にあるのは悲しみではなく「しらじらとした空虚」である。夜の書斎に聞こえてくる召使たちの看経の声や、形見分けの場でのそよの言葉に注目したい。夫が気づかなかったことを、周りの人々の振る舞いが少しずつ明かしていく。

『日本婦道記』は、武家の女性たちを描いた山本周五郎の連作短編で、本作はその一篇である。山本周五郎はこの連作で直木賞に選ばれたが、受賞を辞退している。

結末まで知りたい人へ

結末を表示する(ネタバレを含みます)

形見分けに出された衣類は、色のさめた木綿物や継ぎを当てた物ばかりで、絹物はひと品もなかった。そよは女房たちに、奥さまは召使には高価な品を与えながら、自分は質素な物を着ていたと語って泣く。格之助は、母がなみに「武家の奥はどのようにつましくとも恥にはならぬが、身分相応の御奉公をするためには、つねに千石千両の貯蓄を欠かしてはならぬ」と諭していたと父に明かす。

藤右衛門は、たびたびの献上金や不時の出費を家が無事に乗り切れた理由に思い当たる。蔭にやすの働きがあったからだ。三十年連れ添いながら妻の本当の姿を知らなかったと、彼は自分を責める。

書斎に戻った藤右衛門は、伝記に残る烈女だけが節婦ではないと考える。土台石のように蔭で尽くす婦人たちのことを、『松の花』の序に書こうと思いつく。彼は「おまえはわしに世にあらわれざる節婦がいかなるものかを教えてくれたぞ」と妻に呼びかける。心の空虚は消え、妻が自分の中に生きていると感じながら、藤右衛門は朱筆をはこぶ。

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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日