にほんふどうき
日本婦道記
尾花川
- 読了時間
- 約18分
- 文字数
- 8,629字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「婦人倶楽部」大日本雄辯會講談社、1944(昭和19)年4月
三行でいうと
- 琵琶湖畔の尾花川に住む太宰の屋敷には志士たちが集い、妻の幸子が心をこめてもてなしてきた。
- ところがこのひと月あまり、幸子は客の酒肴を切りつめ、家の食事も焼き味噌と香の物にしてしまう。
- ある夜、滞在中の青年が偽志士だと暴かれる。斬ろうとする客を止めた幸子は、ひそかに金を持って後を追う。
登場人物
- 太宰
- 膳所藩の老臣の五男で、池田家の婿養子となった。のちに姓を河瀬と改め、国事に奔走している。
- 幸子
- 太宰の妻で、尾花川の家を訪れる志士たちを温かくもてなしてきた。
- 鹿島金之助
- 宇都宮藩の脱藩者と名乗り、四十日ほど前から屋敷に滞在している青年。
- 泉仙介
- 越後の村松藩の志士で、太宰と最も親しく行き来しているひとり。
- 長谷川秀之進
- 高松藩の勤皇家、長谷川宗右衛門の庶子。泉に伴われて初めて屋敷を訪れる。
- 井上文郁
- 泉仙介が引き合わせた讃岐の同志。
- 弥五
- 舟で小魚を売りに来る老漁夫。
- 広岡晣
- 長州藩の人で、去年の極月はじめに二日ほど屋敷に滞在した。
読みどころ
人を手厚くもてなすのは美しいことだ。では、それが自分にできるからする、というだけのことなら、どうか。この作品は幕末の志士の家を舞台に、その問いを夫婦の食卓から描く。客が口々に言う「ここへ来るとわが家へ帰ったようだ」という言葉が、前半の屋敷の温かさを伝える。
注目したいのは、夫の太宰の目から見た妻の変わり方である。酒が切れれば黙って食事にし、豊かな湖の魚をひかえて干魚や漬菜を出す。読者は太宰と同じように、その理由を知らないまま話を追うことになる。偽志士の青年をめぐる夜の場面では、幸子の口数の少なさと行動の早さが際立つ。凍てた道で青年にかける「今夜の、その涙をお忘れにならないで、ようございますね」という言葉にも、耳を留めておきたい。
『日本婦道記』は山本周五郎が武家の女性たちを描いた連作で、のちに直木賞に推されたが作者は受賞を辞退した。この一編は、大きな理想ではなく、ひと皿の料理のような暮らしの細部から人の心が動くさまを描いている。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
幸子は尾花川の流れを渡ったところで金之助に追いつき、十金を渡す。誰にも恥じぬ人になってもう一度訪ねて来るよう約束させると、青年は道に坐って泣く。家に戻ると前庭で太宰が待っていた。夜更けに太宰は幸子を呼び、近頃の倹約と今夜の十金はどう違うのかと問い詰める。
幸子は、去年広岡晣から聞いた禁中の話を打ち明ける。祝賀の吸物の鶴を焼き豆腐で代え、儀式の鯛も鮮しいものを用意できないほど、宮中の暮らしは苦しいという。それを聞いて、できるからもてなすという気持ちは僭上だと気づき、費えを切りつめてきたのだった。太宰は骨を噛み砕かれるような悔恨にうたれ、翌朝泉たちと京へのぼると告げる。
太宰は、弥五が鴨を持って来たら断ってくれと頼む。幸子は、鴨はもう届いたので発つ前に手料理を作ると答える。太宰はいったん笑うが、すぐに首を振り「鴨はよそう、……」と言う。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日