やみのえまき
闇の絵巻
- 読了時間
- 約8分
- 文字数
- 3,788字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「詩・現実」1930(昭和5)年9月
三行でいうと
- 東京を騒がせた強盗が、棒一本あれば闇の中を走れると語った。その記事を読み、私は爽快な戦慄を覚える。
- 私は山間の療養地に長く暮らし、そこで闇を愛することを覚えた。好んで夜の闇のなかへ出かけるようになる。
- 下流の旅館から自分の宿へ帰る一本の夜道がある。私は電燈や橋、椎の木をたどりながらその道を思い出してゆく。
登場人物
- 私
- 山間の療養地に長く暮らし、そこで闇を愛することを覚えた語り手である。
- 強盗
- 東京を騒がせた有名な強盗で、捕まった後に棒一本あれば闇の中でも何里でも走れると語った。
- 男
- ある夜、私の前を提灯なしで歩き、人家の明るみから闇のなかへ消えていった。
- 青蛙
- 最初の電燈の下の電柱にいつも身をつけていて、後足で背中を掻く真似をする。
読みどころ
この作品には筋らしい筋がほとんどない。書かれているのは、闇のなかを歩くとき人の心がどう動くかである。闇は恐怖を呼ぶ一方で、進もうとする意志を捨てれば深い安堵にもなる。語り手はその両方を、療養地の夜道を一歩ずつたどりながら確かめてゆく。
道の順に風景を並べてゆく書き方に注目したい。最初の電燈の下にいる青蛙から始まり、橋から見る山腹の電燈や白い瀬へと続く。読者は語り手と同じ速さで夜道を歩くことになる。光と音と匂いが一つずつ置かれ、闇の濃さが少しずつ変わってゆく。溪の闇へ石を投げる場面では、見えない柚の木のありかを匂いで知らせている。
梶井基次郎は結核を患い、伊豆の湯ヶ島で療養した時期がある。『闇の絵巻』は1930年に発表された短い作品だ。『檸檬』と同じように、感覚の細かな揺れが言葉にされている。短いので、一つ一つの描写を味わいながら読み返すこともできる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
ある夜、私は自分の前を提灯なしで歩く一人の男に気づく。男は一軒の人家の明るみに姿を現し、明るみを背にして闇のなかへ消えてゆく。私は、自分もしばらくすれば同じように消えてゆくのだと感じ、その姿を異様な感動で見送る。
その先は溪沿いの杉林で、歩くほど暗さが増して不安が高まる。不安が極点に達しかけたとき、杉林の切れ目から瀬の音が足下から押し寄せる。心が捩じ切れそうになったとたん、行手に一箇の電燈が見えて闇は終わる。崖の曲り角を曲がれば私の旅館はすぐで、私は最後の安堵とともに歩く。ただし霧の夜は電燈が遠くに見え、いつまでも行きつけないような気持になる。
私はこの道を何度も歩き、いつも同じ空想を繰り返した。街道の闇と樹木の闇の姿は今も眼に残っている。それを思い浮かべるたびに私は、今いる都会の電燈の光が流れる夜を薄っ汚なく思う。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日