さくらのきのしたには
桜の樹の下には
- 読了時間
- 約4分
- 文字数
- 1,730字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「詩と詩論」1928(昭和3)年12月
三行でいうと
- 語り手の俺は、満開の桜の美しさがどうしても信じられず、この二三日は不安で憂鬱だった。
- やがて俺は、桜の樹の下には屍体が埋まっていると考え、不安の正体がやっとわかったと語る。
- 俺は屍体の液を吸い上げる桜の根を思い描き、溪で見た薄羽かげろうの屍体の話をおまえに聞かせる。
登場人物
- 俺
- 語り手で、満開の桜の美しさに不安を覚え、樹の下に屍体が埋まっていると想像して落ち着きを得る。
- おまえ
- 俺の話を聞く相手で、苦しそうな顔をし、腋の下の冷汗を拭いている。
読みどころ
この作品の中心には、美しすぎるものを前にしたときの不安がある。満開の桜があまりに見事なので、俺はその美しさを信じることができない。樹の下に屍体を思い描いたとき、ようやく花をまっすぐ見られるようになる。美しさと死を一つに結ぶこの考えが、短い文章のすべてを貫いている。
語り方にも注目したい。俺は終始、そばにいるおまえに向かって話しかける。冒頭の一文「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」は、終わり近くで「ああ」を添えてもう一度現れる。根が液を吸い上げる場面や、水溜を覆う翅の光彩の場面では、気味の悪さと美しさが同じ文の中に並んでいる。
梶井基次郎は『檸檬』で知られる作家で、三十一歳で亡くなった。本作は1928年に雑誌『詩と詩論』に発表された。筋らしい筋はほとんどなく、散文詩に近い書き方で、一人の男の心の動きだけを追っている。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
俺は、真っ盛りの花はあたりに神秘な雰囲気を撒き散らすと語る。その美しさが信じられず、昨日も一昨日も陰気になっていた。そこで俺は、腐って液をたらす屍体を桜の根が抱きかかえ、その液を吸い上げる様子を思い描く。液は維管束を上がり、花弁や蕊を作っているように見える。俺はこれで瞳を据えて桜を見られるようになったと言い、苦しそうな顔のおまえに「美しい透視術じゃないか。」と返す。
続けて俺は、二三日前に溪で見たものを話す。水のしぶきから薄羽かげろうが生まれ、空へ舞い上がっていた。ところが磧の水溜には、石油を流したような光彩が一面に浮いていた。それは産卵を終えた何万匹もの薄羽かげろうの屍体だった。俺は胸を衝かれ、墓場を発く変質者のような残忍なよろこびを味わう。自分には惨劇が必要で、憂鬱が完成するときにだけ心が和むと語る。
冷汗を拭くおまえに、俺は自分も同じだと言い、これで俺達の憂鬱は完成すると告げる。屍体の空想は桜の樹と一つになり、頭を振っても離れない。最後に俺は、桜の下で酒宴をひらく村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がすると結ぶ。
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青空文庫で無料で読む図書カード:桜の樹の下には本で読む
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日