せいひんのしょ
清貧の書
- 読了時間
- 約36分
- 文字数
- 17,853字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「改造」1931(昭和6)年11月
三行でいうと
- 語り手の私は、東京に出て四年の間に三人の男の妻となった。三人目の夫は絵を描く与一だ。
- 二人は家賃の高い古い屋敷跡へ越す。米も買えない日が続き、帯や靴を売ってしのいでいく。
- 与一は召集されて三週間、山の聯隊へ行くことになる。一人で残る私の暮らしが始まろうとしている。
登場人物
- 加奈代
- 語り手の私で、東京に出て四年の間に三人の男の妻となった。
- 小松与一
- 三人目の夫で、油絵を描きながらペンキ屋の仕事で稼ぐ。
- 魚谷一太郎
- 二人目の夫で、飯が食えないと私を殴った。
- 母
- 故郷から仮名書きの手紙で私を叱り、わずかな金を送ってくる。
- 義父
- 海兵団で石炭を運んで働いていた。
- 朴
- 屑屋で、与一の穴の明いた靴を買い取り、石油コンロを売りに来る。
- 小里万造
- 隣に住み、煙草専売局の会計をしている。
- 気合術診療所の娘
- 越す前に家を案内してくれた近所の娘である。
読みどころ
一人で住みたいと願いながら、三度目の結婚をした女の話だ。前の夫には殴られ続け、今も食べることに追われている。三人目の与一は手を上げない男で、遠慮をやめてはっきり言えと私に求める。貧しい暮らしの中で、もう一度人を信じられるかが作品の中心にある。
前半は引越しや米の工面など、食べる話が細かく続く。地獄壺を割って銅貨を一枚ずつ確かめる場面や、石油コンロの唸りを隣の子が飛行機の音と思う場面に注目したい。後半には、与一が兵営から送った手紙がほぼそのまま並ぶ。回を追って手紙の調子が変わり、それを読む私の心も動いていく。
林芙美子は『放浪記』で、貧しさの中を生きる若い女の日々を書いた作家だ。本作にも母と義父との行商の記憶や、カフェーの女給の仕事が出てきて、『放浪記』と重なる材料が多い。苦しい暮らしを書きながら、文章には明るさとおかしみが残っている。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
八月のある朝、刑事が何人も家に踏み込み、与一を連れて行こうとする。与一が召集令状を見せると人違いと分かり、刑事たちは引き上げる。博覧会の仕事の終わりには、与一がペンキ屋同士の喧嘩で額に怪我をして帰る。そのころ故郷から、義父がトロッコで流されたので金を工面してほしいと手紙が来る。私は与一に言い出せず、黙って送金しようと決める。
出発の日、与一は駅のホームで「元気でいるンだよ」と何度も繰り返す。一人になった私のもとへ、山の兵営から絵葉書と手紙が続けて届く。与一は、私が弱みを見せまいとする癖をたしなめ、隊でもらった金を同封する。私が母へ仕送りしたことを打ち明けると、怒るはずがないと返事が来る。女給以外の仕事なら働いてよいとも書いてあった。
私は朴の紹介で、診療所の娘と朝早く屑市場へ通い始める。トマトの花が落ちて青い実を三つ結び、朝の石油コンロの音を聞きながら茶を啜るのが日課になる。七通目から九通目の手紙は、頬を染めるような言葉で埋まっていた。最後には秋草を詠んだ歌が書き添えてあり、その一節が私の眼の裏に浸みて話は終わる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日