さくらじま
桜島
- 読了時間
- 約1時間13分
- 文字数
- 36,394字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「素直 創刊号」1946(昭和21)年9月
三行でいうと
- 終戦間近の夏、暗号員の村上兵曹は坊津から桜島への転勤を命じられ、途中の町で右の耳が無い妓と一夜を過ごす。
- 桜島の壕で異様な眼をした吉良兵曹長の下に置かれ、見張の男と言葉を交わしながら死を思う日々が始まる。
- 敵船団発見の電報やソ連参戦の知らせに壕の中が揺れる。私は自分がどう死ぬのかを問い続ける。
登場人物
- 村上兵曹
- 語り手の「私」で、補充兵から下士官になった暗号員。坊津の基地から桜島の部隊へ移る。
- 谷中尉
- 坊津の山の上にある挺身監視隊の隊長。旅の途中の町で私と出会う。
- 妓
- 駅の裏手の妓楼にいる右の耳が無い女で、桜島へ行く私にどんな死に方をするのかと問う。
- 吉良兵曹長
- 桜島の通信科の準士官。執拗な眼で私を見据え、兵たちに理由のない制裁を加える。
- 見張の男
- 丘の上の栗の木の下で見張に立つ四十前後の兵。つくつく法師を嫌い、滅亡の美しさを語る。
読みどころ
死が目前に迫ったとき、人はどのように死ぬのか。暗号員の村上兵曹は、せめて死ぬ時だけでも美しく死にたいと願っている。しかし、出会う人々はその願いを次々に揺さぶる。谷中尉は「美しく死ぬ、美しく死にたい、これは感傷に過ぎんね」と言う。吉良兵曹長は戦場に転がる死骸の無残さを語って聞かせる。死の瞬間に自分がどう振る舞うかで、三十年かけて探ってきた自分の正体が分かる。私は敵よりも、その瞬間に近づくことを恐れている。
読むときは、物語の中で繰り返し現れる小さなものに目を留めたい。耳の無い妓が口にした「どんな死に方をするの」は、酔った私の頭の中で何度もよみがえる。見張の男が嫌うつくつく法師も、話の節目で姿を見せる。吉良兵曹長の異様な眼が何を抱えているのかも、読み進めるほど気になってくる。敵船団発見の電報で壕が騒ぎ立つ夜は、張りつめた基地の空気をよく伝えている。
『桜島』は、海軍の暗号兵として桜島で終戦を迎えた梅崎春生が、戦後まもない1946年に発表した作品である。銃撃戦の場面はほとんど無い。描かれるのは、壕の湿気や蝉の声、酒宴の騒ぎである。戦いが始まらないまま死を待つ兵の心が、そうした日常の手触りを通して描かれている。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
私は遺書を書きかけて破り捨てる。見張台へ向かう途中でグラマンの機銃に襲われ、以前は感じなかった恐怖に地面へ伏せる。見張台に着くと、見張の男が栗の木の陰で額を撃ち抜かれて死んでいた。幹では今年初めてのつくつく法師が鳴いている。私は電話で見張の死を告げ、男の顔を略帽でおおう。そしてその蝉を捕らえて握りつぶし、ポケットに入れる。
三日後、玉音の放送は雑音で聞き取れず、隊長は戦争に勝てばいくらでも休めると兵に話す。午後、私は不用の暗号書を焼く場に立ち会い、乾いた蝉の死骸を火に投げ入れる。そして、死ぬまでは落ち着いて生きようと心を決める。居住区に戻ると、吉良兵曹長は敵が上陸したら卑怯な者を軍刀で切って廻ると言い放つ。
そこへ兵が戻り、昼の放送は終戦の詔勅だったと告げる。吉良兵曹長は涙を流して腰を落とし、やがて軍刀を抜いて刀身に見入る。私が膝をふるわせて見守るなか、彼は刀を鞘に収めて「村上兵曹。俺も暗号室に行こう」と言う。夕焼けの坂道を下りながら、私は落日に染まる桜島岳を見て、止めどなく涙を流す。悲しいのかどうかも、私には判らなかった。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日