げんか
幻化
- 読了時間
- 約2時間21分
- 文字数
- 70,237字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「新潮」新潮社、1965(昭和40)年6月
三行でいうと
- 精神科病院を抜け出した久住五郎は、鹿児島へ向かう飛行機で丹尾という男と隣り合わせる。
- 五郎は終戦の夏を過ごした坊津を二十年ぶりに訪ね、部下の福が死んだ入江を見おろす。
- 吹上浜から学生時代の熊本へと昔の土地をたどった五郎は、阿蘇の火口で丹尾と再会する。
登場人物
- 久住五郎
- 四十五歳。睡眠療法を受けていた精神科病院を抜け出し、入院費に予定した金を持って南九州へ旅に出る。
- 丹尾章次
- 映画会社の営業部の男で三十四歳。一箇月前に妻子を交通事故でうしない、酒びたりになっている。
- 福
- 二十年前、坊津の基地で五郎の部下だった兵長。奄美大島の出身で、双剣石まで泳ごうとして死んだ。
- 三田村
- 熊本の学生時代からの五郎の友人。病院を紹介し、旅先の五郎に金を送る。
読みどころ
病んだ中年男が、二十年前に自分が確かに生きていた場所をたずね歩く。それが『幻化』の筋である。坊津から枕崎へ抜ける峠で海が開けたとき、五郎は「これだ。これだったんだな」と立ちすくむ。若い頃の解放感の原型が残っている一方で、町も人も五郎を旅人として迎えるだけだ。過去と今のずれを五郎がどう受け止めるかが、読み進める手がかりになる。
注目したいのは、五郎が口にする「同行者」の考えである。五郎は人の生を、同じ汽車に乗り合わせた者どうしにたとえる。飛行機で隣り合った丹尾、溺れた福、病室の三人の患者が、この考えのもとでつながっていく。語りの面では、旅先の出来事のあいだに病室や学生時代の記憶が前触れなく差しはさまる。壁を這う蟻や、風呂場で聞こえる声のような幻覚も同じ調子で書かれる。現実と回想の境目が曖昧なところを、そのまま味わうとよい。
梅崎春生は海軍の暗号兵として坊津で終戦を迎え、その体験を『桜島』に書いた。『幻化』は同じ土地を戦後二十年たって歩き直す作品で、作者の晩年の代表作に数えられる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
熊本の宿に三田村から二万円が届く。添えられた電報には、明日そちらに行くから宿で待ち、外出するなとあった。五郎は女指圧師を阿蘇へ誘うが、翌朝の駅に女は来ない。迎えを待つのをいやがった五郎は、一人で準急に乗る。登山バスの中で、黒眼鏡をかけた丹尾を見つける。
二人は火口の見える場所で弁当を食べる。丹尾は賭けを持ちかける。自分が火口を一周する途中に、飛び込むかどうかを賭けるのである。五郎と丹尾はそれぞれ一万円札を二枚ずつ出し、丹尾がそれを重ねて縦に切る。半分を五郎に返し、残りの半分を自分の内ポケットに入れる。戻れば賭け金はすべて五郎のものになり、飛び込めば紙幣も火口へ消える。丹尾はトランクを提げて歩き出す。
五郎は有料の望遠鏡で丹尾の姿を追う。丹尾は汗を拭いては立ち止まり、火口をのぞく。のぞく時間はだんだん長くなっていく。丹尾を見ているのか自分を見ているのか分からなくなった五郎は、胸の中で「しっかり歩け。元気出して歩け!」と叫ぶ。丹尾が戻るかどうかは書かれないまま、物語は終わる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日