こはん
湖畔
- 読了時間
- 約48分
- 文字数
- 23,939字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「文藝」1937(昭和12)年5月号
三行でいうと
- 旧大名家の奥平が、二歳にならない息子に宛てて、妻を手にかけた事情と失踪の理由を書き残す。
- 決闘で顔に醜い傷を負った奥平は、箱根の湖で出会った少女の陶に心を奪われ、妻に迎える。
- 猜疑心から陶に冷たく当たるうち、奥平は箱根の別荘で陶の不義の現場に踏み込んでしまう。
登場人物
- 奥平
- 語り手の「俺」で、旧大名家の継嗣の伯爵。パリでの決闘で顔に大きな傷を負った。
- 陶
- 横浜の生糸仲買人の二女で、桜井女学校に通っていた。のちに奥平の妻となる。
- 高木
- 浮ヶ島に住む弁護士で、旧藩士の伜。米国の大学で状師の免状をとった。
- 日疋
- 箱根の別荘に出入りする女流文士。
- 甚造
- 箱根の別荘で働く下僕。
- 奥平正高
- 語り手の父。極端な貴族主義者で、息子をイギリスへ送り出した。
読みどころ
この作品の語り手は、誰より人に愛されたいと願いながら、相手の心を確かめることを恐れている。断られて恥をかくくらいなら、初めから無愛想にふるまう。その臆病さと体面へのこだわりが、妻との暮らしを形づくり、事件の行方まで決めていく。男がどこで自分の本心に気づくのかが、この作品の読みどころである。
話は、男が二歳にならない息子に宛てて書いた手記の形で進む。男は自分の卑怯さや見栄を、言い訳をせずに書きつけている。漢語の多い硬い地の文に陶の口語の台詞が入ると、場面の空気が急に明るくなる。蘆ノ湖で陶が「お乗りになりませんか」とボートに誘う場面は、二人の関係の出発点として覚えておきたい。顔の傷について陶が答える言葉にも注目したい。
久生十蘭は、作品ごとに文体を変えた作家として知られる。この作品は明治の華族が書いた手記の体裁をとり、裁判の手続きや世間の評判まで細かく書き込んでいる。後半は思いがけない方向へ転がっていくので、結末を知らずに読むほうが楽しめる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
奥平は陶の首を締めるが、陶に抱きつかれて劣情を覚え、手を離してしまう。今日限り死んだものとして三島の尼寺で暮らせと申し渡し、ボートで深良の川口まで送って金を持たせた。その足で高木を訪ね、陶を手討ちにして湖に沈めたと偽る。奥平は自訴し、精神鑑定の結果、責任無能者として無罪になった。
秋、別荘で静養していると、深良の川口で女の死体が上がり、陶の遺骸として運び込まれる。殺していないと明かせば偽りの申述の罪に問われ、自分の卑劣な性情も世間にさらされる。それを恐れた奥平は、死体を妻だと認めてしまう。やがて死体の歯に陶と同じ虫喰孔を見つけ、陶が身を投げたのだと思って泣く。ところが林で泣いていると生きた陶が現れ、短刀を見せて一緒に死んでほしいと言う。奥平は自分が陶に愛されていたことを初めて悟る。陶は不義の相手が高木だったと打ち明けるが、奥平はもう誰も責めなかった。
二人は林の奥の小屋で隠れて暮らし、家も財産も捨てて逃げようと決める。ところが林で陶を見かけた高木は、自宅で首を吊って死んでいた。奥平は高木を失踪したことにして、その死体を自分の身代わりにしようと考える。夜、二人で死体を林の奥へ運んで欅の枝に吊るし、奥平はしばらくそれを眺めていた。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日