かぜとひかりとはたちのわたしと
風と光と二十の私と
- 読了時間
- 約31分
- 文字数
- 15,073字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「文芸 第四巻第一号(新春号)」1947(昭和22)年1月1日
三行でいうと
- 父が死んで借金だけが残り、二十の私は下北沢にある小学校の分校で代用教員になる。
- 受け持ちの五年生には仮名も書けない子が二十人いる。私は悪い子供の中に美しい魂を見る。
- 満ち足りて暮らす私に、もう一人の私が「不幸にならなければいけないぜ」と語りかけてくる。
登場人物
- 私
- 二十で中学を卒業し、世田ヶ谷の下北沢にある分校で五年生を受け持つ代用教員。
- 田中
- 牛乳屋の子で、朝晩自分で乳をしぼって配達し、一年落第している。
- 主任
- 分教場の主任で六十ぐらい、癇癪もちで有力者にはお世辞たらたらの男。
- 荻原
- 学務委員をしている地主の子で、主任が私に特に大事にするよう言った子供。
- 福原先生
- 二年の受持の女先生で、なりふり構わず生徒のために献身する善良な人。
- 鈴木
- 私のクラスの陰鬱な女の子で、いつも片隅にしょんぼりしている。
- 石津
- 私のクラスの貧しい家の娘で、色っぽく、いつもたわいもなく笑っている。
- 山田
- 豆腐屋の女房の連れ子で、女の子の中で最も腕力が強く、友達がいない。
読みどころ
二十の私は、怒らず悲しまず、行雲流水の如く生きようと心に決めている。麦畑を渡る風と光の中で、毎日が満ち足りている。その満足を、木の繁みや柱時計の陰から現れるもう一人の私が責める。満ち足りて生きることはいけないのか。この問いが作品の底を流れている。
読むときは、子供たちの描き方に注目したい。字が書けないと叱られるのを恐れ、力仕事なら何でもすると言う牛乳屋の落第生がいる。陰鬱な鈴木、色っぽい石津、野性的な山田という三人の少女もいる。私は不幸を自分の身に探しても見つけられず、まず生徒の影の上から見つめはじめる。語りの合間には後年の私の目が入り、戦後に訪ねてくる二十二の青年たちの話も差しはさまれる。
坂口安吾が、自身の代用教員時代を振り返って書いた自伝的な作品である。作中には『堕落論』『淪落論』という自作の題も出てくる。戦後の安吾が、堕ちる前の老成した若い自分をどう見ていたかがうかがえる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
ある放課後、主任が職員室の窓を叩く。学務委員をしている有力者の子供が、先生に叱られたと言って家で暴れているという。その日、私はその子を叱っていなかった。釈明に行けという主任に、私は子供だけをここへよこしてほしいと頼む。やってきた子供は泣きだし、牛乳屋の落第生におどかされて文房具屋の鉛筆を盗んだと打ち明ける。私は名前を出さずに代金を払っておくと約束する。落第生には、人を使わず善いことも悪いことも自分一人でやれと諭して許す。
やがて私は、仏教を勉強して坊主になろうと考え、教員をやめるかどうか迷う。さとりへのあこがれの底には名誉慾があると気づき、自分の卑しさを嘆く。それでも、何でも構わず捨てることを急ぐ自分を見つめている。少年時代から小説家になりたかったのに、才能がないと思いこんで諦めていたことも働いていたと振り返る。福原先生は、先生などで終ってはいけないと喜び、別れの酒宴をひらいてくれる。
後年の私は、教員時代の充ち足りた一年を、自分自身でないような、嘘のような白々しい気持ちで思い出すと結ぶ。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日