かんしょう
環礁
ミクロネシヤ巡島記抄
- 読了時間
- 約1時間13分
- 文字数
- 36,366字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「南島譚」今日の問題社、1942(昭和17)年11月
三行でいうと
- 南洋の役所に勤める「私」が、ミクロネシアの島々を船で巡り、見聞きしたことを章ごとに書きとめていく。
- 子供が一人しかいない寂しい島や、病み上がりの午後に出会う女、流刑地へ送られる少年ナポレオンが現れる。
- 真昼の浜で「私」は自分の中の声に責められる。コロールではパラオ語の先生マリヤンと親しくなっていく。
登場人物
- 私
- 南洋の役所に勤める新米の官吏で、島々を巡って見聞きしたことを語る。
- 女の児
- 十数年ぶりに島で生まれた五歳の子で、島の最後の者として大事にされている。
- ナポレオン
- コロールで乱暴を重ね、南方のS島へ流された島民の少年。
- 若い警官
- ナポレオンをS島からT島へ移すために、同じ船に乗っている。
- マダレイ
- 「私」の宿で食事の世話をする、日本語の巧い島民の女。
- マリヤン
- コロールの名家の出の島民女で、H氏にパラオ語を教えている。
- H氏
- 南洋に十余年住み、パラオの古譚詩を集めて訳している土俗学者。
読みどころ
南の島へ来た「私」は、島の人々と同じ目で海を見ているのか。それとも本で読んだ南洋を重ねているだけなのか。この作品は、パラオを中心とした島々の見聞をつづりながら、その問いを何度も「私」自身に向ける。子供の生まれない島では、人間の絶えた後の島や天体を思い描く。真昼の浜では、ゴーガンやロティの描いた南洋しか見ていないと内なる声に責められる。旅の記録の中に、自分を疑う語り手の姿が浮かんでくる。
章ごとに語り口が変わるところに注目したい。「寂しい島」は滅びゆく島を静かに見つめる。「夾竹桃の家の女」では、熱で朦朧とした午後の空気が濃く描かれる。「ナポレオン」は船の上の捕り物を、まるで映画のように見せる。「マリヤン」では、英語の詩集と『ロティの結婚』を読む島の女と「私」の距離が、おかしみと痛ましさを交えて描かれる。島で生まれた最後の娘を見て「自然は私ほどにロマンティストではないらしい」と書く場面のように、自分の空想を突き放す一文もある。
中島敦は南洋庁の役人としてパラオへ渡った経験がある。中国の古典に材を取った『山月記』や『李陵』とは違い、この作品では作者の目に映った南洋が、そのままの手触りで書かれている。漢語の多い文章の中に、海の青や魚の色をとらえた描写がたびたび現れる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
ナポレオンは出帆のときに船から海へ跳び込み、島へ泳いで逃げる。しかし浜の手前で水夫に追いつかれ、縛られて船に転がされる。少年は丸二日、一口も飲み食いしない。T島に着くと、腕を取ろうとした巡警を肱で突き飛ばし、独りで上陸する。ところが出帆のとき、浜に並んだ島民と一緒に船へ手を振る。「私」にはその理由が分からない。
マリヤンの章では、「私」とH氏が春に内地へ帰ることになる。マリヤンは鶏をつぶして別れの料理を出し、「内地の人といくら友達になっても、一ぺん内地へ帰ったら二度と戻って来た人は無いんだものねえ」と言う。内地に戻った「私」は風邪をこじらせて肋膜を患い、南洋の役所には戻れなくなる。H氏も結婚して東京に落ち着くことになる。章は、マリヤンが聞いたら何と言うだろうかという問いで閉じる。
最後の章「風物抄」では、クサイ、ヤルート、ポナペ、トラック、ロタ、サイパンの風物が短く並ぶ。サイパンの月夜、「私」は沖縄の芝居小屋を出て白い海岸通りを歩いて帰る。牛のそばに寝ている大きな犬と見えたものは、よく見ると山羊だった。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日