かぜたちぬ
風立ちぬ
- 読了時間
- 約1時間49分
- 文字数
- 54,431字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 序曲、風立ちぬ「改造」1936(昭和11)年12月号、冬「文藝春秋」1937(昭和12)年1月号、春「新女苑」1937(昭和12)年4月号、死のかげの谷「新潮」1938(昭和13)年3月号
三行でいうと
- 夏の高原で絵を描く節子のそばで、私は不意に立った風の中で一つの詩句を口ずさむ。
- 婚約した節子は胸を病んでいる。私は付き添い、八ヶ岳の麓のサナトリウムで二人の暮らしを始める。
- 重い患者が次々に亡くなるなか、私は二人の日々を小説に書こうと決め、山に冬が近づく。
登場人物
- 私
- 節子の婚約者で、小説を書く。サナトリウムで節子に付き添って暮らす。
- 節子
- 夏の高原で私と出会った娘。胸を病み、八ヶ岳の麓のサナトリウムに入る。
- 父
- 節子の父。娘の転地を案じており、私が一緒に行くと言うと顔を明るくする。
- 院長
- サナトリウムの院長で、私の知り合い。節子の病竈が思ったより広いと私に告げる。
- 村の娘
- K村で私の炊事の世話をする娘。素直で口数が少ない。
- 神父
- K村の小さな教会にいる独逸人の神父。私を日曜の弥撒に誘う。
読みどころ
死が近いと知りながら、二人は残された日々をどれだけ幸福に生きられるのか。作品はこの問いを、山のサナトリウムでの静かな暮らしの中で見つめ続ける。題は冒頭に掲げたヴァレリーの詩句に由来する。作中で私が口ずさむ「風立ちぬ、いざ生きめやも」は、物語の節目で何度も思い出される。節子が「私、なんだか急に生きたくなったのね……」と言う春の庭の場面から、二人の暮らしは始まる。
読むときは、同じ風景が場面ごとに違って見える書き方に注目したい。初夏の夕暮れ、二人は山や松林を眺め、幸福そのものの絵を見たように感じる。秋の朝、私は同じ景色を、もっと冷たく深い光の中で見つめ直す。第十七号室から聞こえる咳や、窓にぶつかる蛾のように、死の気配は小さな物音や物の姿で示される。後半は日付のついた日記に変わり、私の心の揺れが一日ずつ記されていく。
堀辰雄は、婚約者を結核で亡くした自分の体験をもとにこの作品を書いた。出来事は少なく、心の動きと光や風の描写で読ませる小説である。終章ではリルケの「レクヰエム」が長く引用され、喪失をどう受け止めるかが物語の最後の主題になる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
十月に父が見舞いに来る。父が帰った夕方、節子は激しく咳きこんで血痰を出し、絶対安静の日が続く。危機は一週間ほどで去り、私は二人の生活を小説に書くと節子に告げる。森を歩きながら物語を思い描くうち、その結末に病む娘の死が浮かぶ。私は恐怖と羞恥に襲われてサナトリウムへ急いで戻る。節子は今の暮らしに満足していると言い、私が前に話した言葉を思い出して待っていたと打ち明ける。
章は「冬」に入り、日記の形になる。私はノオトを書き進めるが、結末が見つからない。十一月の末、節子は私に黙って少量の喀血をする。附添看護婦がつき、私は隣の病室へ移る。十二月五日の夕方、節子は山の襞に父の横顔に似た影を見つけ、家へ帰りたくなったと小声で言う。私はベッドの縁に顔を埋め、節子はその髪を撫でる。
最後の章は一年後の十二月である。私は一人でK村の山小屋に住み、谷を「死のかげの谷」と呼ぶ。日記の回想から、去年の雪の夜に電報で父が呼ばれ、節子が「あなたの髪に雪がついているの……」とつぶやいたことがわかる。節子はもういない。私は教会の神父と話し、リルケの「レクヰエム」を読む。そして、節子を静かに死なせておかずに求め続けた自分を悔いる。クリスマスの夜、小屋の明りが谷の下の林まで届いているのを見て、私は自分を生かしてくれる明るさは思っているより多いのかもしれないと考える。物語は、谷の向こうでざわめく風を静かな夜に聞く場面で終わる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日