はるはばしゃにのって
春は馬車に乗って
- 読了時間
- 約20分
- 文字数
- 9,566字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
三行でいうと
- 海辺の家で、胸の病気で寝ついた妻を彼が看病している。妻は寝台から庭の松の葉が光るのを眺めている。
- 彼は妻の食べたがる鳥の臓物を毎日探しに出る。妻は彼が離れたがっていると責め、二人は言い争いを重ねる。
- 妻の病はしだいに重くなり、聖書を読んでほしいと頼む。ある日、彼は医者から思いがけない言葉を聞かされる。
登場人物
- 彼
- 胸の病気で寝ている妻を、海辺の家で看病しながら別室で仕事をしている。
- 妻
- 寝台から動けず、看病する彼をたびたび責めるが、早く治って井戸で洗濯がしたいと願っている。
- 医者
- 妻の薬を貰いに来た彼に、妻はもう駄目だと告げる。
読みどころ
死にゆく妻と看病する夫の、最後の冬から春までを描いた短編である。妻は寝台の上から、彼は自分の仕事を抱えながら、互いを責め合ってしまう。妻は彼の言い分を「檻の中の理論」で攻め立て、彼は理屈でそれを打ち返す。優しいだけではない看病の日々が、そのまま書かれている。
読むときは、夫婦の会話の鋭さに注目してほしい。「お前の敵は俺の仕事だ。しかし、お前の敵は、実は絶えずお前を助けているんだよ」のように、彼の台詞には理屈と本音が入り混じる。妻の食欲を誘うため、彼は鳥の臓物や魚を宝石や海の武者にたとえて並べてみせる。ダリヤや亀、海の景色が季節とともに移ろい、二人の時間の残りを静かに知らせる。
横光利一は新感覚派の代表的な作家として知られる。この作品は、横光が結核で妻を亡くした年に発表された。比喩を重ねる新しい文体で、夫婦の別れを正面から描いている。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
医者は、妻の左の肺はもう無く、右の肺も進んでいると彼に告げる。彼は妻の顔を見たくないと思い、庭の芝生に寝転んで涙を流す。病室に入ると、妻は彼が泣いていたと見抜く。その日から彼は、妻の言うままに機械のように動き出す。妻はモルヒネを買ってきてほしいと頼み、彼を苦しめたことを詫びる。遺言はもう書いて床の下にあるとも話す。
冬が深まり、妻は一日じゅう黙って遠くの岬を眺めるようになる。彼が聖書を読むと妻は啜り泣き、自分の骨はどこへ行くのかと気にかける。彼は答えられず、聖書の続きを急いで読み上げる。やがて二人は黙って並び、死を迎える準備を終える。
海に白帆が増え、早春が訪れる。ある日、知人からスイトピーの花束が届く。彼はそれを妻の部屋へ運び、「とうとう、春がやって来た」と言う。花はどこから来たのかと妻が尋ねると、彼は「この花は馬車に乗って、海の岸を真っ先きに春を撒き撒きやって来たのさ」と答える。妻は花束を胸に抱きしめ、蒼ざめた顔を花の中に埋めて目を閉じる。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日