かれい
家霊
- 読了時間
- 約19分
- 文字数
- 9,325字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
三行でいうと
- 坂道の途中にある老舗のどじょう店「いのち」。家業を嫌って家を出たくめ子は、母の病で呼び戻されて帳場に坐る。
- 暮れの寒い晩、勘定を百円以上ためた彫金師の徳永老人が、またどじょう汁を頼みに店へやって来る。
- 店の者が湯に出かけた夜更け、老人は帳場の窓に向かい、くめ子の母が若かったころの話を語り出す。
登場人物
- くめ子
- どじょう店の一人娘で、家を離れた三年ののち、病気の母親に代わって帳場に坐りはじめた。
- 徳永
- 店の裏の長屋に住む彫金師の老人で、片切彫を得意とし、どじょう汁の勘定をためている。
- 母親
- くめ子の母で店のおかみさん。婿に放蕩されながらも長く帳場を守ってきた。
読みどころ
題の「いのち」は、どじょう店の暖簾に染め抜かれた店名である。衰えを養う家業を嫌う娘のくめ子と、どじょうを食わねば芸が続かないと言う徳永老人が、帳場の窓を挟んで向き合う。代々の女たちが帳場を守ってきたこの家で、何が受け継がれていくのかが物語の芯にある。
注目したいのは、徳永が彫金の手つきを演じてみせる場面だ。鏨と槌を構えた形がぴたりと決まると、炉に当たっていた店の者まで身を起こす。窓から見ていたくめ子は、学校で見た円盤投げの像を思い浮かべる。煤けた座敷をシャンデリアが白く照らす冒頭の描写も、店の空気を濃く伝えている。
岡本かの子は歌人として出発し、晩年になって小説を次々に発表した。『家霊』もその時期の短編で、老舗の家に生きる女たちの姿を、坂道の店の一晩を中心に描いている。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
ある風の夜、店の者が湯に出かけたあとで、徳永はそっと潜り戸から入って来る。そして若いころのおかみさんの話を始める。婿に放蕩されても帳場を動かなかったおかみさんに、徳永は片切彫の簪を彫って献じてきた。歳月とともに彫る簪は細く小さくなり、もう彫るものは無いと言う。勘定を払うあてもないまま、今夜もどじょうを恵んでほしいと嘆願する。
くめ子は思わず帳場を立ち、誰もいない料理場で自分の手でどじょう汁を作る。朱塗の大椀に盛り、飯櫃と一緒に窓から差し出す。老人は大喜びで受け取り、盗人のように姿を消す。
不治の癌と告げられた母親は、かえって機嫌がよくなる。この家のおかみさんは代々亭主に放蕩されるが、慰めてくれる者も必ず現れるとくめ子に語る。死ぬ間際には簪の入った琴柱の箱を頬に当て、「これだけがほんとに私が貰ったものだよ」と言って娘のような声で笑う。その後のくめ子は、宿命に従おうとする気持ちと救いを信じる気持ちのあいだで揺れる。学生たちと坂の上まで歩き、誰が放蕩者の夫になり誰が救い手になるかを思い描いても、やがて一人で店へ戻って窓の中に坐る。徳永老人は痩せ枯れながら、毎晩どじょう汁をせがみに来る。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日