このページには広告(Amazonの商品リンク)が含まれます。

はえ

蠅

横光利一

読了時間
約8分
文字数
3,502字
読みやすさ
ふつう
表記
新字新仮名
読む速さ

三行でいうと

  1. 真夏の宿場で、蜘蛛の巣から落ちた一疋の蠅が馬の背に這い上る。馭者は饅頭屋の店頭で将棋を指している。
  2. 息子が危篤だと知らされた農婦が駆けつけるが、馬車は出ない。人目を気にする若者と娘も宿場へ急ぐ。
  3. 乗客がそろっても、馭者は蒸し立ての饅頭を待つ。ようやく馬車が走り出し、蠅も屋根にとまって揺れていく。

登場人物

蠅
眼の大きな一疋の蠅で、厩の蜘蛛の巣にかかったあと落ちて、馬の背中に這い上る。
猫背の馭者
宿場の馬車の馭者で、蒸し立ての饅頭に最初に手をつけることを一日の最高の慰めにしている。
農婦
街に務める息子から危篤の電報を受け、三里の山路を馳け続けて宿場へ来た。
若者
荷物を担いで娘と宿場へ急ぎ、知れたらまた逃げるだけだと呟く。
娘
若者と連れ立って歩き、知れたらどうしようと泣きそうな顔をする。
男の子
母親に手を曳かれて宿場に来て、厩の馬の真似をする。
田舎紳士
四十三歳で、前の晩に春蚕の仲買で八百円を手に入れたばかりの男である。
饅頭屋の主婦
宿場の横の饅頭屋の主婦で、農婦に馬車はもう出たと答える。

読みどころ

宿場に集まった人々には、それぞれ急ぐ理由がある。息子の死に目に逢いたい農婦がいて、何かが知れるのを恐れる若者と娘がいる。八百円を手にして先の計画で胸がいっぱいの田舎紳士もいる。それでも馬車は出ない。馭者が待っているのは、蒸し上がる饅頭である。人の切実さと、それとは関わりなく進む物事との隔たりが、この短編の中心にある。

語り手の目は、人の胸の内に長くとどまらない。十の短い章が、蠅、馬、馭者、乗客へと次々に視点を移していく。農婦が何度も繰り返す「馬車はまだかのう?」と、将棋盤から目を離さない馭者の受け答えの食い違いに注目したい。馬車が走り出してからは、景色が蠅の眼に映るものとして描かれる。誰を中心に物語を見ているのかを確かめながら読むと、結びの印象が変わる。

横光利一の初期の短編で、のちに新感覚派と呼ばれる書き方の先駆けとされる。短い文と大胆な場面の切り替えは、映画のカメラのようだとよく言われる。短いので一息に読めるが、二度目には一行ごとの配置の意味が見えてくる。

結末まで知りたい人へ

結末を表示する(ネタバレを含みます)

柱時計が十時を打ち、饅頭が蒸し上がる。馭者は饅頭を腹掛けに押し込んで馭者台に乗り、乗客を乗せた馬車が走り出す。蠅は馬の腰から飛び立ち、車体の屋根にとまって一緒に揺られていく。車内では田舎紳士の饒舌で乗客が打ち解け、農婦は時刻ばかりを気にしている。

饅頭を食べ終えた馭者は居眠りを始める。馬車が崖路にさしかかっても眠りは続き、それに気づいているのは蠅だけである。崖の頂上で馬が曲がろうとしたとき、車輪の一つが路から外れる。

馬は車体に引かれて突き立ち、馬車ごと崖の下へ落ちていく。河原には人と馬と板片が重なったまま動かない。飛び上がっていた蠅は、休まった羽根に力を籠めて、ただひとり青空の中を飛んでいく。

読んでみる

青空文庫で無料で読む図書カード:蠅

本で読む

注や解説の付いた文庫は、言葉の意味や時代背景を確かめながら読めます。

次に読むなら

公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日