とかとんとん
トカトントン
- 読了時間
- 約26分
- 文字数
- 12,734字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
三行でいうと
- 青森の海辺の郵便局に勤める二十六歳の青年が、中学の先輩にあたる作家へ長い手紙を書く。
- 終戦の日に死を思った瞬間に金槌の音を聞いてから、奮い立とうとするたびにその音が聞こえるようになった。
- 小説も恋も労働者のデモも、気持ちが高まるたびにあの音にかき消され、青年は身動きが取れなくなっていく。
登場人物
- 私
- 青森市寺町の花屋トモヤの次男で、復員後は母の実家にあたるAの三等郵便局に勤める二十六歳の青年。
- 伯父
- 母の兄にあたる郵便局の局長で、酒飲みである。
- 時田花江
- 宮城県から部落に来た旅館の女中で、一週間に一度ほど郵便局へ貯金をしに来る。
- 若い中尉
- 終戦の日に兵舎の前で、抗戦と自決の覚悟を兵たちに告げる。
- 某作家
- 青年が手紙を送った相手で、青年の中学校の先輩にあたる。
読みどころ
終戦の日、死を覚悟した青年の耳に、兵舎から金槌の音が届く。その音を聞いたとたん、悲壮な気持ちは消えてしまった。以来、何かに感激して奮い立とうとするたびに、同じ音が聞こえてくる。熱中したいのに熱中しきれない空しさを、この作品は小さな物音一つで描き出す。手紙の主が「この音は、なんでしょう」と問いかける切実さが、読む人にも向けられている。
作品のほとんどは、青年が作家にあてた一通の手紙である。語り口は丁寧で、ときに自分の文章を笑ってみせる。「そうしてそれから」が多いと、自分で書き添える場面もある。注目したいのは、音が聞こえる場面の重ね方だ。はじめは一つの出来事ごとに音が鳴る。終わり近くでは新憲法も火事も酒も、短い間隔で次々に断ち切られていく。手紙のあとに添えられた数行まで、気を抜かずに読みたい。
太宰治が戦後まもなく発表した短編で、『群像』1947年1月号に載った。手紙の宛先の作家は、罹災して生まれた土地の金木町に来ている。太宰治自身を思わせるこの設定も、読みどころの一つである。敗戦をはさんで信じるものを失った青年の気分を、一つの音に託した作品だ。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
青年は、音に邪魔された出来事を順に書いていく。百枚近く書いた小説は、銭湯で音を聞いたあと鼻紙にしてしまった。円貨の切り換えで夢中に働いた日も、音を聞いて寝込み、ふつうの窓口局員に戻った。旅館の女中の花江さんに片恋をし、ある日、海辺に呼び出される。花江さんは、貯金はおかみさんのお金だと打ち明けて涙を見せる。そのとき近くの納屋で釘を打つ音がして、青年は「それじゃ、失敬」と立ち去る。
青森で労働者のデモに涙した時も、駅伝の選手に感激してキャッチボールに打ち込んだ時も、音は聞こえた。やがて新聞を読もうとしても、自殺を考えても音が鳴るようになる。伯父に人生とは何かと尋ねると、伯父は「世の中は、色と慾さ」と答えた。闇屋になろうかと考えても、すぐに音が聞こえた。青年は、この音から逃れる方法を教えてほしいと頼む。最後に彼は、花江さんなどいないし、デモも見ていないと打ち明ける。トカトントンだけはウソでないようだと添えて、読み返さずに手紙を送る。
手紙を受け取った某作家を、地の文は「むざんにも無学無思想の男」と呼ぶ。作家は返事で「気取った苦悩ですね」と書き、あまり同情していないと告げる。そしてマタイ十章の言葉を引いて返事を結ぶ。最後の一文は「このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です」である。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日