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にほんぶんかしかん

日本文化私観

坂口安吾

読了時間
約44分
文字数
21,731字
読みやすさ
歯ごたえあり
表記
新字新仮名
読む速さ

初出: 「現代文学 第五巻第三号」1942(昭和17)年2月28日

三行でいうと

  1. 日本の古い文化をほとんど知らない僕が、タウトの日本礼讃に異を唱え、自分なりの日本文化論を語りはじめる。
  2. 京都に住んだ一冬、僕は名所旧蹟より場末の芝居小屋や金儲けの神社に心を惹かれ、俗悪とは何かを考える。
  3. 龍安寺の石庭、秀吉の太閤塀、一人住まいの家を経て、話は汽車から眺めた小菅刑務所の美しさへ向かう。

登場人物

僕
語り手。新潟市に生れ、昭和十二年の初冬から翌年の初夏まで京都に住んでいた。
ブルーノ・タウト
桂離宮を絶讃し、新潟市を日本で最も俗悪な都市だと言った人物。
隠岐和一
京都で僕を迎えた友人で、客をもてなすことに細心な古都のぼんぼんに変っていた。
コット先生
アテネ・フランセの先生で、追悼演説を笑ってしまった僕を憎悪の眼で睨んだ。
猫遊軒猫八
嵐山劇場に来た人相の悪い大男の芸人で、物真似も含めて芸を何一つ知らない。

読みどころ

伝統を知らない者に日本文化を語る資格はあるのか。坂口安吾は、タウトが日本を発見しなければならなかったのに対し、我々は現に日本人なのだと答える。「模倣ではなく、発見だ。」のように短く言い切る断定が、次々に出てくる。古いものを守ることより、いま生きている生活の必要を信じる考え方が全体を貫いている。

議論の合間に挟まる場面の生々しさに注目したい。京都の章では、毎晩出される猪の料理や、小便の溢れる嵐山劇場が語られる。雪の降る大本教の廃墟を歩いて、刑事と間違えられる話もある。名所旧蹟より場末を好む僕の実感が、そのまま俗悪をめぐる議論の土台になっている。

本作は1942年に『現代文学』に発表された。坂口安吾の文化論の代表作として、戦後の『堕落論』と並べて読まれることが多い。難しい漢語は多いが、具体的な場面から理屈へ進む書き方なので、話の筋は追いやすい。

結末まで知りたい人へ

結末を表示する(ネタバレを含みます)

最後の章で、僕は取手に住んでいた頃に汽車から眺めた小菅刑務所に心を惹かれる。学生時代に佃島の近くで見たドライアイスの工場にも、同じように惹かれた覚えがあった。ある春先、半島の港町で駆逐艦を見たとき、僕は三つに共通する美しさの正体に思い当たる。

三つには美しくするために加えたものが何もなく、必要なものだけが必要な場所に置かれている。僕は文学も同じだと考え、美しく見せるための一行があってはならないと言う。百米を走るオウエンスや、羽田で見た分捕品の戦闘機にも、必要に応じた形の美しさを見る。

そして「必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。」と言い切る。生活が健康である限り、文化も伝統も健康だと僕は述べる。真に生活する限り猿真似を羞じることはなく、猿真似にも独創と同じ優越があると言って、文章は終わる。

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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日