みかん
蜜柑
- 読了時間
- 約7分
- 文字数
- 3,151字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「新潮」1919(大正8)年5月
三行でいうと
- 曇った冬の日暮れ、疲れと倦怠を抱えた「私」は、横須賀発の上り二等客車で発車を待っていた。
- 発車の間際に十三四の小娘が駆け込んでくる。三等の切符を握ったまま、「私」の前の席に座った。
- 汽車がトンネルにさしかかるころ、小娘は「私」の隣へ移り、閉めてある窓を開けようとし始める。
登場人物
- 私
- 語り手。疲労と倦怠を抱えて二等客車に乗り、前に座った小娘を不快に思っている。
- 小娘
- 十三四の田舎の娘。大きな風呂敷包みを抱え、三等の赤切符を握って二等客車に乗ってくる。
- 三人の男の子
- 町はずれの踏切の柵の向こうに並び、通る汽車に手を挙げて声を上げる子供たち。
読みどころ
語り手の「私」は、何もかもに疲れ切った目で汽車に乗っている。前に座った小娘の顔も服装も、二等と三等の区別がつかないところも気に入らない。この作品は、見下していた相手の見え方がたった一つの出来事で変わる瞬間を描く。人の心が動くのにどれほどの時間が要るのかを、短い頁で問いかける作品である。
読むときは色と明るさに注目したい。曇り空、プラットフォームの薄暗さ、トンネルの煤煙と、前半は暗い景色ばかりが続く。夕刊を眺めた「私」は、目の前の汽車と小娘と記事をまとめて、「不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であろう。」と突き放す。この重さを覚えておくと、題名の蜜柑が出てくる場面の色がいっそう鮮やかに見える。
芥川龍之介は、『羅生門』や『鼻』のように古典に材を取った作品で知られる。一方でこの短編は、一人称の「私」が汽車の中で出会った一場面を語っている。1919年に発表された。短く読みやすいので、芥川龍之介を初めて読む人にも向いている。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
窓が下へ落ちると同時に汽車はトンネルに入る。どす黒い煙が車内に流れ込み、のどを痛めていた「私」はひどく咳き込んだ。小娘は気にする様子もなく、窓から首を出して汽車の進む方向を見ている。外が明るくならなければ、「私」は小娘を叱りつけて窓を閉めさせていたはずだった。
トンネルを抜けると、汽車は貧しい町はずれの踏切にさしかかる。柵の向こうでは、頬の赤い三人の男の子が汽車に手を挙げ、声を張り上げていた。その瞬間、身を乗り出していた小娘が手を振り、日の色に染まった蜜柑を五つ六つ子供たちの上へ投げる。「私」はすべてを了解した。奉公先へ向かうらしい小娘が、見送りに来た弟たちの労に報いたのだった。
光景は一瞬で過ぎ去ったが、「私」の心に焼きつき、朗らかな心もちが湧き上がってくる。小娘はもう前の席に戻っていた。襟巻に頬を埋め、三等切符をしっかり握っている。「私」はこのとき初めて、疲労と倦怠と退屈な人生をわずかに忘れることができた。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日