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まつ

待つ

太宰治

読了時間
約5分
文字数
2,062字
読みやすさ
やさしい
表記
新字新仮名
読む速さ

初出: 1942(昭和17)年6月

三行でいうと

  1. 二十の娘が、買い物の帰りに省線の小さい駅に立ち寄る。冷いベンチに坐って改札口を眺め、誰かを待つ。
  2. 私は人と会うのがこわい。それでも大戦争がはじまってからは、家にじっとしていられなくなった。
  3. 誰を待つのか自分でもわからない。期待と恐怖と覚悟がからみ合い、息がつまるほど苦しくなる。

登場人物

私
毎日、買い物の帰りに駅のベンチに坐り、誰かを待っている二十の娘である。
母
私と二人で家にいて、黙って一緒に縫物をする。

読みどころ

この作品の中心には、相手がわからないまま待ち続ける心がある。私は人間がこわいと言う。それでいて、誰かに声を掛けられる場面を何度も思い描く。期待と恐怖が、短い独白のなかで行き来する。待っているものが何なのか、読む人も私と一緒に考えることになる。

注目したいのは語りの調子の揺れである。長い文のあいだに「おお、こわい。ああ、困る。」のような短い言葉が差し込まれる。駅前を行き交う人々は「望遠鏡を逆に覗いたみたいに」小さく遠く見えてくる。お役に立ちたい気持ちは口実ではないかと疑い、自分を責める箇所もある。

太宰治は、女性が一人称で語る短編をいくつも書いた。『待つ』もその一つで、二十の娘が胸の内をそのまま打ち明ける。作中の大戦争という言葉は、書かれた時代の張りつめた空気を伝えている。

結末まで知りたい人へ

結末を表示する(ネタバレを含みます)

私は、待っている相手を一つずつ挙げては打ち消していく。旦那さまでも恋人でもない。お友達もお金もいやで、亡霊などなおさらいやだ。待っているのは、もっとなごやかでぱっと明るい、素晴らしいもののように思える。春、青葉、五月、麦畑を流れる清水と言い換えてみるが、どれもしっくりこない。

それでも私は待つのをやめない。目の前を人が通るたびに、あれでもないこれでもないと見送る。買い物籠をかかえ、こまかく震えながら一心に待ち続ける。

最後に私は、読む人に向かって話しかける。毎日駅へ迎えに行っては、むなしく帰ってくる二十の娘を笑わずに覚えていてほしいと頼む。駅の名はわざと教えないと言い、「お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける」と結ぶ。

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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日