よしのくず
吉野葛
- 読了時間
- 約1時間14分
- 文字数
- 36,791字
- 読みやすさ
- 歯ごたえあり
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「中央公論」1931(昭和6)年1月~2月
三行でいうと
- 作家の「私」は、吉野の山奥に伝わる南朝の末裔、自天王を題材に歴史小説を書こうと考えていた。
- 友人の津村に誘われて吉野川沿いを歩き、静御前の形見とされる初音の鼓を見に菜摘の里を訪ねる。
- 宮滝の岩の上で、津村は幼いころに亡くした母への思いと、今度の旅に秘めた目的を語り始める。
登場人物
- 私
- 東京から来た語り手で、自天王の事蹟をもとに歴史小説を書く計画を持っている。
- 津村
- 「私」の一高時代の友人で、大阪島の内の旧家に生まれ、早くに両親を亡くして祖母に育てられた。
- おりと
- 吉野郡国栖村の昆布家に住む老女で、津村の母方の伯母にあたる。
- お和佐
- 柏木附近の農家の娘で、冬になると昆布家へ紙すきの手伝いに来る。
読みどころ
物語は歴史小説の取材旅行として始まる。その下で、もう一つの話が静かに進んでいく。母の顔を知らずに育った男の思慕が、狐の伝説や浄瑠璃の場面と重なり、やがて吉野の土地にたどり着く。母を慕う気持ちと、まだ見ない妻を思う気持ちの境目は、作中でも曖昧にされている。
前半は「私」の紀行文で、吉野の秋が細かく描かれる。上市の家々の白い障子、大谷家で出される熟柿のずくし、国栖の軒下に干された紙が目に残る。中盤からは、津村の打ち明け話を「私」が取り次ぐ語りに変わる。地唄の「狐噲」や葛の葉の子別れなど、母と狐を結ぶ芸能が次々に出てくるので、その連なりを追うと読みやすい。
谷崎潤一郎は関東大震災の後に関西へ移り住み、上方の言葉や風俗を作品に取り入れていった。この作品はその時期に書かれ、昭和六年に『中央公論』に発表された。随筆のような書き出しから人の一生へと話が移っていく構成は、谷崎の作品のなかでも独特である。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
津村の母は大和の生まれである。幼いころに大阪の色町へ売られ、養女を経て十五で津村家に嫁いだ。祖母が亡くなった後、津村は土蔵で母の実母からの手紙を見つける。その手紙から、母の生家が国栖村で紙をすく昆布家だと知った。国栖を訪ねた津村は伯母のおりとに会い、母の形見の琴と庭の稲荷の祠を見せられる。そのとき垣根の外から見た紙すきの娘が、もう一人の伯母おえいの孫のお和佐だった。津村は彼女を嫁に迎えたいと「私」に打ち明ける。
翌朝、二人は別々に動く。津村は昆布家の人々に縁談の取りなしを頼み、「私」は案内者と三の公の峡谷へ入る。絶壁の細い路に足をすくませながら、自天王にまつわる口碑を書き留めていった。帰り道の入の波で川原の温泉を見ていると、吊り橋の上から津村が呼ぶ。津村は娘を一人連れて橋を渡って来た。
「私」の歴史小説は材料が多すぎたせいか、結局書けずに終わった。橋の上に見たお和佐は、今では津村の妻になっている。この旅で望みを果たしたのは「私」ではなく津村だった。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日