ふしんちゅう
普請中
- 読了時間
- 約9分
- 文字数
- 4,391字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
初出: 「三田文学」1910(明治43)年6月
三行でいうと
- 雨あがりの夕方、渡辺参事官は改築中で休業同様の精養軒ホテルに入り、二人分の食事の席で人を待つ。
- 現れたのは、昔たびたび会っていた女である。ドイツ語で話し、いまはコジンスキイと旅をしながら歌っている。
- 女はこれからアメリカへ行くと言う。昔のように近づこうとするが、渡辺は「ここは日本だ」と取り合わない。
登場人物
- 渡辺
- 参事官。官吏として行儀よく暮らしており、この晩の食事だけは例外だと女に話す。
- 女
- 褐色の大きい目をした女。ドイツ語で話し、去年の暮からウラヂオストックで歌っていた。
- コジンスキイ
- 女の歌の伴奏をしながら一緒に旅をしている男。女と愛宕山に泊まっていて、渡辺に会いたがる。
- 給仕
- 精養軒ホテルの給仕。渡辺を二階へ案内し、食事の支度ができると知らせに来る。
読みどころ
昔親しかった女と、何年ぶりかで食事をする。それなのに渡辺は、待つ相手が誰でもかまわないほど落ち着いている。自分でもなぜこれほど冷ややかでいられるのか分からない。工事の音が残るホテルで、変わってしまった男と変われない女が向き合う。表題の普請中は改築中のホテルのことだが、渡辺は「日本はまだ普請中だ」とも言う。
会話は短い言葉の応酬で進み、どちらも本心をはっきり口にしない。女がコジンスキイとの間柄をどう言い表すか、そこに渡辺がどう返すかを追って読むとよい。渡辺が二度口にする「ここは日本だ」も、場面ごとに響きが違う。待っている間に渡辺が眺める景色にも目を向けたい。窓の外の動かない水や、サロンの壁にばらばらに掛かった掛け物が、短い場面を作っている。
森鷗外はドイツに留学した作家で、この作品でもドイツ語や向こうの地名がそのまま出てくる。文末には明治四十三年六月の日付がある。西洋の暮らしを知る官吏の目から、建てている途中の東京を描いた短編である。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
電燈がつき、二人は食卓のある部屋へ移る。女はこの部屋を見て、男女が二人きりで食事をする個室の呼び名を冗談めかして口にする。渡辺は平気な顔で、偶然似ているだけだと答える。メロンやシャンパニエが出るあいだ、二人は意味のない話を続ける。
女は突然「あなた少しも妬んではくださらないのね」と言う。昔、劇場がはねた後の料理屋でこんなふうに向き合い、怒ったり仲直りしたりしたことを思い出していた。冗談のつもりが本気の声になってしまい、女は悔しく思う。渡辺は杯を花籠より高く上げ、はっきりした声で「Kosinski soll leben !」と言う。コジンスキイの健康を祝う言葉である。女は固まった笑顔で黙って杯を上げるが、その手は人に気づかれないほどに震えていた。
八時半ごろ、明かりのあふれる銀座通りを、ヴェールで深く顔を包んだ女を乗せた車が一台、芝の方へ走っていく。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日