ちどり
千鳥
- 読了時間
- 約40分
- 文字数
- 19,869字
- 読みやすさ
- ふつう
- 表記
- 新字新仮名
三行でいうと
- 体をこわして学校を一年休んだ青木は、夏に世話になった西の小島の家を、小春の日にふたたび訪ねる。
- 留守の家で待っていたのは見知らぬ娘の藤さんで、彼女は青木の事をすでによく知っていた。
- 二人は池の鮒を眺めて語らうが、藤さんが島に来た訳を、小母さんは言いかけて口をつぐむ。
登場人物
- 青木
- 語り手。夏に島で過ごしたのち、学校を一年休むことにしてふたたび島の家へ来る。
- 藤さん
- 小母さんが江田島の官舎にいたころ隣に住んでいた娘で、一と月前からこの家に逗留している。
- 小母さん
- 島の家の主で、青木が生みの親のように慕う人。
- 章坊
- 小母さんの家の子で、手作りの写真機や糸電話で遊ぶ。
- 初や
- 小母さんの家で働く女で、島の言葉で冗談や噂話をする。
- お長
- 馬喰の娘で、口がきけず手真似で話す。
読みどころ
青木と藤さんは、島の家でたった二日を過ごすだけだ。打ち明け話も約束もなく、交わすのは鮒や鴎や蟹の話ばかりである。それでも二日が終わるころには、読む人の胸にも小さな名残が残る。何も起きない時間が、なぜこれほど心に残るのか。この作品の中心にあるのはその問いである。
読むときは、景色と小さな物の描き方に目をとめたい。夕暮れの蜜柑畑を通る馬、池の底から浮き上がる鮒の群れ、季節はずれに咲いたたんぽぽ。どれも語り手の心の動きと重なって描かれる。藤さんの事情は最後まで語られず、小母さんの言いさした言葉だけが残る。語り手は自分の癖を「自分は覚めていて夢を見る」と書いている。その目で見た島の暮らしが、夢と現の境のような手ざわりを生んでいる。
『千鳥』は鈴木三重吉が夏目漱石の推薦を受け、1906年に『ホトトギス』に発表した出世作である。のちに三重吉は童話と童謡の雑誌『赤い鳥』を興し、子どもの読み物を大きく変えた。その出発点にあたる短編で、抒情に満ちた文章の美しさを味わえる。
結末まで知りたい人へ
結末を表示する(ネタバレを含みます)
藤さんにすすめられて青木は浜へ貝殻を拾いに出るが、途中でお長の馬について畠まで行き、馬鈴薯掘りを見ているうちに日が暮れる。帰り道で下駄の前鼻緒が切れる。家に戻ると章坊が一人で泣いていて、藤さんは迎えに来たよその伯父さんに連れられ、急に帰ってしまったと知る。
青木は裏山へ駆け上がり、沖の白帆を見つめて藤さんの船を見定めようとするが、帆はいくつも現れて見分けがつかない。袂の貝殻を離れの屋根へ投げつけて山を下りる。書き置きの手紙はなかったが、机の抽斗の奥から、緋の紋羽二重に紅絹裏のついた襦袢の片袖が出てくる。
青木は藤さんの身の上を聞かないことに決める。二日の記憶を「千鳥の話」としてそのまま残したいからだ。小母さんが話しかけるとほかの話でそらし、やがて小母さんも初やも藤さんの名を口にしなくなる。いまも眠れない夜には片袖を灯にかざし、袂の中に封じた藤さんを見る。千鳥の名は、その紋羽二重の紋柄から来ている。
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公開: 2026年10月27日 更新: 2026年10月28日